3・18事件
1926年3月、馮玉祥の国民軍と張作霖の奉天軍閥との間に勃発した内戦に、日本軍が介入。国民党に影響力を持つソ連を警戒した帝国主義列強は、張作霖を支持した。中国政府に、8ヵ国連盟で最後通牒を突きつける。

この日、日本の内政干渉に対する天安門前の抗議集会に起ちあがった市民に向けて、軍隊・警察は発砲した。47人もが虐殺され、200名以上もの人々が負傷した。犠牲者には、魯迅の女師大での教え子劉和珍・楊徳群の二人も含まれていた。悲報を受けた魯迅は、「花なきバラの2」の稿を急遽改めて、「民国以来最も暗黒の日」と記した。4月には張作霖内閣が樹立、アカ狩の嵐が吹き荒れる。魯迅にも逮捕状が出され、北京からの逃亡生活が始まる。