日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+

日本共産党や民青同盟、またやりよった……ぼやきのブログ

 1968年4月5日、プラハの春。チェコスロヴァキア共産党中央委総会が、複数政党制などを含む新しい行動綱領を採択する。

 1956年のスターリン批判の衝撃は、チェコスロヴァキアにおいても、じわじわと広がっていた。1960年代に入ると、アントニーン・ノヴォトニー(党第一書記兼大統領)の統治体制は揺らぎ始めた。1950年代に猛威をふるった粛清裁判犠牲者の名誉回復問題。計画経済の行き詰まり。スロヴァキアの自治要求……。

 1967年に入ると、チェコスロヴァキア作家同盟大会において、文学者たちが公然と共産党批判を行う。プラハでは、学生たちの学生寮の設備をめぐる抗議デモが、警察隊によって鎮圧される事態に発展する。党内においても、ノヴォトニー政権に対して、スロヴァキア共産党側から強い不満が出された。続きを読む

前回の続き……日本共産党の言うことと、レーニンの言うことが違うことを指摘した場合、昨日のような受け答えのほかに、

「日本共産党は、今の日本でレーニンのようなことはできないから、日米同盟と米軍基地を無くして、非同盟中立の国として平和を追求しようとしている」

といった反応が返ってくる場合がある。
その場合の答えは

「あのー、どこにも属さないで、中立でいるってのは、要は何もしないことですよ。たとえばここに、殴り合ってる二人がいるとしますよね。中立でいるということは、どちらにも与しないということだから、ケンカを止めることもない。そんなんで平和が保てますか。自分だけが幸せだったらいいんですか?」
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 きょうは昨日の補足である。はたしてスターリン主義は克服されたのだろうか。

 わが左翼政党・党派のいうことを信じれば、もちろん、「スターリン主義の誤り」は克服されたのである。わが日本共産党は「大国の覇権主義」との決別を宣言した。革共同両派は「反帝国主義・反スターリン主義世界革命」の旗のもと結集している。第四インターはトロツキズムを復権した。エトセトラ。しかし不思議なことに、スターリン主義の問題がそっくり残っているのはなぜだろうか?

 たとえば、連合赤軍の総括リンチや、革共同両派の「内戦」は、スターリン主義の粛清の国内版ではないのだろうか? 「正しい理論」に貫かれていれば、それはスターリン主義ではないとでも? 百歩譲って、理論は正しいのかもしれない。しかしどうしてまあ諸君は、同じような誤りばかり繰り返してきたのだろうか?
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かならず感想を聞かれるので、その時に言うことは
「日本共産党の言うことって、レーニンの言う左翼小児病そのものですね。これじゃ共産主義とは言えないですね……」相手の目をじっと見つめて言うと、特に効果的。
あるいは「『左翼小児病』は手に入らなかったんで、『国家と革命』を読んだんですが、共産党って、レーニンの言う『日和見主義』じゅないですか?」でもいい。

レーニンの言う左翼小児病とは、簡単に言うと、プロレタリアート独裁と社会主義革命を実践しようとしないで、単に労働運動をやっているだけ(左翼用語で日和見主義という)という「病気」にかかっていることを指す。もちろんレーニンは、これを否定している。

すると、民青の先輩たちは「いやそうじゃない、日本はロシアと違うし、自主独立路線をとっているから」とか何とか、言い訳をする。
そこで、「じゃ、レーニンから私は何を学べばいいのでしょう?」と質問する。すると、「民主勢力の結集」とか「思想信条を越えて団結」とか言うはずである。
(ちなみに、そんなことをレーニンは言っていないが、そこは無視しておく)
そこで、
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1922年4月3日、共産党第11回大会でスターリンがソ連共産党書記長に指名される。

 「スターリン主義」という言葉は、狭義では、スターリンの指導下にあったソヴィエトの支配体制をさして使われている。しかし1956年のフルシチョフのスターリン批判以降も、ソ連ではスターリンなきスターリン主義が存続した。スターリン主義ということばから思いつくのは、「粛清」「官僚主義体制」「個人独裁」「収容所群島」というような忌まわしいイメージである。スターリン主義をどう規定するのか、スターリン批判以降の左翼運動・共産主義運動は、分岐と混乱と対立を繰り返してきた。この問題については、また別の機会に譲り、ここでは「スターリン書記長」誕生の背景の覚書にとどめる。

 1922年の共産党第11回大会は、レーニンの指導下における最後の党大会だった。1922年5月24日、52歳のレーニンは脳溢血で倒れる。1924 年1月21日の逝去まで、1922年から1923年の秋から冬にかけての短い期間を除いて、政治活動からは隠退した。しかしレーニンの退場は、共産党の体制を根底からくつがえすものになる。続きを読む

まずは、班の幹部のあいさつを素直に聞くこと。自分のあいさつの順番が回ってきたら、

・民青同盟に入れて、大変うれしいこと
・さっそく、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」を読み始めたこと(読んでなくとも読んでいるという……内容を聞かれたら、読みはじめだから分からないと言えばよい)
・つぎにレーニンの「共産主義内の『左翼』小児病」を読むつもりだ

と、少女マンガの主人公の目をして喋る。

多くの民青同盟員は、日本共産党のパンフレットや「しんぶん赤旗」と民青の機関誌「民主青年新聞」「われら高校生」は読んでも、マルクスやレーニンはほとんど読んでいないし、読んでいないことのコンプレックスを持っていることが多い。だから歓迎会の雰囲気が多少乱れる可能性がある。そんな雰囲気を察したら、
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 1996年4月2日、北海道・日高地方の二風谷(にぶたに)に建設されたダムが貯水を始める。
 アイヌの聖地が水没するとして、アイヌ民族の萱野茂参議院議員らが抗議する。

 北海道平取町の二風谷ダムの建設工事に反対して、二人のアイヌの地権者、貝沢正と萱野茂の両氏はダム用地として自分の土地を売ることを拒否していた。しかし1989年2月、北海道収用委員会は、建設省はこの申請を無視して二人の土地の強制収用を承認してしまう。萱野氏と貝沢氏の長男耕一氏は、1993年 5月、強制収用の裁決取り消しを求める行政訴訟を札幌地方裁判所に起こしていた。
 
 二風谷には、たくさんのアイヌ民族が暮らし、アイヌ語を学び、アイヌ文化を育んできた。しかしこのダム建設で、アイヌ民族の伝統行事であるチプサンケ(舟おろしの儀式)を行ってきた、かつての渡船場も水没してしまう。続きを読む

次の言葉を言わなければ、たぶん無条件で入れる。
「あぁ、日共の青年部隊のくせに、違うとウソつくとこね」
「私、熱心な創価学会員ですけど、思想信条は自由だと言いましたよね」
「将来は、公安警察官になって、極左暴力集団を壊滅させる仕事につきたいです」
「ゲバ棒振り回せるんですよね、そうじゃなきゃ学生運動する意味ないよね」
その他、原理研(統一教会)、中核、革マル、戦旗のセクトを支持するかのような発言は避ける「反戦平和」について聞かれたら、「戦争はイヤですよねー」程度に相づちを打って安心させるとよい。

1968年4月1日、国際勝共連合が結成される。

 新学期スタート。春は出会いの季節である。最近では見かけ
ることも少なくなったが、かつての大学のキャンパスは、民青
から新左翼諸セクトまで、自派のサークルに新入生を勧誘する
ための「新入生歓迎」シーズンがたけなわであった。
 しかし「共産勢力の根絶」を掲げて、この「左翼共産勢力」
の「新歓闘争」に立ちはだかるのが、われらが原理研であった


 「赤ヘル、青ヘル、黒ヘル、白ヘルなどの急進革命集団は、
全国の有名大学のほとんど全部に拠点をもって、きわめて組織
的な活動を行なっている。これらの暴力集団に対抗する学生運
動は、原理研究会だけである。原研の学生はキリスト教人道主
義の立場から、身を挺して勇敢に闘っている。私は心から拍手
を送りたい。」
●郷司浩平(日本生産性本部名誉会長、元経済同友会代表幹事

http://www.chojin.com/person/sando.htm

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・民青同盟のサイト(http://www.dylj.or.jp/)にあるメールアドレスに、「入りたいのでうちのガッコの班を紹介しろゴルァ!」と書いて送る。個別の大学班のサイトのアドレスに送ってはならない。サイトは存在しても、実際には班が消滅していて、書いたメールがメールボックスの肥やしになる可能性が高い。また本部にメールすると、大学に班がないとき地域班に誘われるので安心である。

・入学式が終わり、外に出て行くとサークルの勧誘合戦を行っている場合、よく探せば民青同盟の看板を持っている者がいることがあるので、声をかける。
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