日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+

日本共産党や民青同盟、またやりよった……ぼやきのブログ

3月29日はマリモの日。
 1952年のこの日、北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定された。

 緑藻植物のシオグサ科に属するマリモは、1921年に天然記念物に、さらに1952年には特別天然記念物に指定されている。厳密にいえば、マリモは阿寒湖だけのものではなく、北海道では標茶町のシラルトロ湖、津別町のチミケップ湖、本州では山梨県富士五湖の河口湖や西湖などで生育が確認されている。しかし、阿寒湖のように、ビロード状の美しい球状をかたちづくるマリモは他に見つかっていない。

 特別天然記念物マリモと、「左翼の再生は可能か?」というテーマと、何の関係があるのかって? 「左翼」も「社会主義」も絶滅危惧種だから保護してやれとでもいいたいのか? それも極めて緊要の課題かもしれないのだが、きょうは西村真琴(にしむらまこと・1883年〜1956年)という人物について触れておきたいだけのことである。続きを読む

米帝(べい・てい)
「アメリカ帝国主義」の省略形。「アメ帝」とも言う。戦後的反米闘争で市民権を得た左翼語。旧社会党の浅沼稲次郎書記長が北京を訪れたとき「アメリカ帝国主義は日中人民共同の敵」という共同コミュニケを発表して話題を撒いた。(同じ流儀で、アメリカ大使館を「アメ大〔あめ・たい〕」と略す。これは「米大」とはしない。メアメ大にデモかけるモとか使う。「アメ球〔あめ・だま〕」は「飴玉」ではなく、戦後進駐軍の放出品で売っていた「アメリカ製真空管」のこと。左翼用語よりも早く死語となった)。

1871年3月28日、パリ市庁舎でパリ・コンミューン樹立宣言。
 パリ市民による選挙が行われた後、1871年3月28日にコミューンの成立が宣言され、以後同年5月20日までパリを統治することとなる。

 第2帝政下の1870年7月、皇帝ナポレオン3世はプロイセンとの戦争(普仏戦争)を開始する。フランスはたちまち敗北して、そのうえセダンの戦いにおいて皇帝自身も捕虜となり、帝政は崩壊した。9月4日、共和制の宣言、国防政府はプロイセンとの戦争を続行。しかしプロイセン軍によって包囲されたパリでは食糧不足が深刻となり、1871年1月28日、ついに政府はプロイセンに対して正式に降伏した。国民議会がボルドーに招集される。1871年1月28 日、国防政府はヴェルサイユ休戦条約を締結し、オルレアン派−−七月王政のオルレアン王朝の支持者たち−−のティエールが国家元首に選出される。
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日共・民青が自分の行う政治的攻撃に無条件に付ける評価。対立する者が同じことをやると無条件に不誠実とされる。続きを読む

1837年(天保八年)3月27日、「大塩の乱」の首謀者・大塩平八郎、潜伏先に幕吏に踏み込まれ、自害。

 「大塩平八郎終焉の地・碑文」より。

 「大塩平八郎中斎(1793〜1837)は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、陽明学者としても知られ、世を治める者の政治姿勢を問い、民衆の師父と慕われた。天保8年(1837)2月19日飢饉にあえぐ無告の民を救い、政治腐敗の根源を断とうとして、門人の武士・農民等を率いて決起した。
 乱後大塩平八郎・格之助父子は、この地に隣接した靱油掛町の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、同年3月27日幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に呼びかけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。大塩の行動は新しい時代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市民に語り継がれている。
 決起160年に当たり、全国の篤志を仰いでここに建碑する。
1997年9月
大塩事件研究会」続きを読む

1.日本共産党の、査問除名システムの概念を変えた元共産党員。それまでの査問除名システムは、党員にとって恐怖の的だった。それを、あまり有能とは言えない党幹部をからかう、笑いの的にできる可能性を示した点で画期的である。続きを読む

1978年3月26日、成田空港管制塔占拠闘争。

この日、開港を4日後に控えていた成田空港管制塔に、第四インターを中心とする空港反対派支援勢力が突入して占拠。管制塔を破壊して、成田空港空港の開港を実力で「粉砕」する。

東京国際空港(羽田空港)に替わる『新東京国際空港』構想は、高度経済成長に伴う1950年代後半頃から出てきたものだった。1960年代前半には千葉県富里町でほぼ決定し、地元自治体との調整や用地買収などの交渉が開始されている。

しかし富里町住民はこの計画に抵抗、話し合いは難航した。1966年7月4日、当時の佐藤内閣は富里町への新空港誘致を断念、突如として成田市三里塚の地を新空港建設地に決定する。三里塚の農民には一言の相談もないまま、閣議決定が強行されたのである。 

三里塚農民は、復員軍人、海外からの引揚者、疎開者など、敗戦後にこの土地に入植した人たちである。農業の経験のまったくない人たちも少なからずいた。入植者たちは、原野に素手でいどみ、一本一本の抜根、一鍬一鍬の開墾を通して、その日を生きるために明け暮れてきた。ようやく軌道に乗って、幸福をつかみかけた時の、時の政府の寝耳の水の空港誘致決定である。
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加盟自治会の役員の大多数を民青同盟員が占める、全日本学生自治会総連合のこと。主張は、日共、民青に同じだが、思想信条を問わないことを標榜し、「(民青系)全学連=日共、民青」という、それこそ日共・民青以外は誰も疑わない外部の常識を否定するのに躍起になっているのが特徴。続きを読む

1928年3月25日、全日本無産者芸術聯盟(ナップ)結成される。

 戦争の危機を目前にした1928年3月13日、左翼系な芸術団体のゆるやかな連合体である日本左翼文芸家総聯合が誕生する。しかしそのわずか2日後に、共産党への一斉弾圧3・15事件が発生する。この危機のなかで、共産党支持の立場に立つ前衛芸術家同盟とプロレタリア芸術聯盟が合同して、ナップが結成された。小林多喜二『蟹工船』、徳永直『太陽のない街』などプロレタリア文学の傑作が掲載された『戦旗』はナップの機関誌である。
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1897年3月24日、ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich 1897年−1957年)生まれる。

 「ドイツファシズムの勝利とドイツ労働運動の敗北を彼ほど真剣に受け取り、彼ほど労働者大衆のファシズムへの反応の意味を深刻に読み取った人物は、他にほとんど見当たらない」(久野収)


 オーストリア出身の精神分析家。1922年、ウィーンで医学博士の学位を取得、精神分析医として開業した。フロイトの主宰した「精神分析総合診療所」の第一助手から、副所長。「精神分析セミナー」主任として28年から30年まで在任した。フロイトにその才能を愛された高弟であり、精神分析の技法と理論の確立に果たした貢献は大きい。『性格分析−その技法と理論』(1933)は、精神分析学の古典的名著とされる。

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