1928年4月18日、京都帝大教授の河上肇が辞職を迫られ、依頼免官となる。
▽『資本論入門』第二分冊への序言
第一分冊を公にして間もなく、私は大学から退くことになつた。『私はむしろ喜んでこの機會を捉へ』、今後しばらくはこの『入門』をもつて大学の講座に代へようと思ふ。
第二分冊は『資本論』の本文冒頭数行のためにその全部をさゝげた。私は読者が私の此の如き多辯を咎めざらんことを望む。『入門』は奥に進むに従つて益々簡単にする豫定であるから。
昭和三年五月五日 河 上 肇
http://www.ksky.ne.jp/%7Ehatsu/hajime/
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▽『資本論入門』第二分冊への序言
第一分冊を公にして間もなく、私は大学から退くことになつた。『私はむしろ喜んでこの機會を捉へ』、今後しばらくはこの『入門』をもつて大学の講座に代へようと思ふ。
第二分冊は『資本論』の本文冒頭数行のためにその全部をさゝげた。私は読者が私の此の如き多辯を咎めざらんことを望む。『入門』は奥に進むに従つて益々簡単にする豫定であるから。
昭和三年五月五日 河 上 肇
http://www.ksky.ne.jp/%7Ehatsu/hajime/
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