昨日の続き、集中出版発行の会員制月刊誌「集中」の記事「虚妄だらけの日本共産党」の後編は、石川島播磨重工(IHI)の共産党員思想差別闘争を挙げて、党中央が労働者の味方ではないことを告発する。

石川島播磨思想差別とは、同社で長年共産党員を思想的に差別し、昇級、昇格などで不利にあつかったもので、労働者側が2000年に提訴、2004年に勝利和解を勝ち取っている。この闘争を、なんと日本共産党中央委員会が妨害していたというのだ。

日本共産党は1990年代の半ばから「対話路線」を打ち出し、財界人との懇談をくりかえして党の存在感を高めようとした。そんなときに「IHIのような日本の代表的企業の中で“共産党vs経営陣”という構図ができることが、こうした路線にっとて都合が悪いと思われた」

そのため、IHIの党員たちが「法廷闘争も辞さず」と本気になると、当時労働局長だった荒堀広をはじめ「党中央委員会労働局から幹部が慌てて飛んできて『今はまずい』と提訴を思いとどまるよう説得に来た」という。理由は当然、「志位委員長が財界との対話を進め、国民的改革の道を大いに語ろうとしている時期に不適切だ」からだ。

IHIの党員たちは驚き、動揺した。しかし一部の党員がそれでもやると言い出すと、IHI党委員会からこれらの党員が排除され。党組織が分裂した。

そして党の方針に逆らった差別撤廃裁判は「支援しないし、赤旗でもとりあげない」と中央委員会は通告してきて、党員に裁判に参加しないように説得し、多くの脱落者を出した。ごく一部の残った裁判参加党員たちは、党組織多数派からも白眼視されるようになった。

しかし、裁判はそんなことは関係なしに進む。少数でも頑張る闘争メンバーの努力が功を奏して裁判は有利に展開し、2002年には勝利和解の流れが見えてきた。

すると赤旗は突然「IHIの思想差別問題」を採り上げ、メンバーを東京にご招待、ご馳走を振る舞ったという。その席で不破の腰ぎんちゃく浜野忠夫党副委員長は「どうかこれまでのことは内密に」と懇願してきたとか。

腐れ外道もいいところだ。ただでさえ防衛産業の一角を担うIHIなのだから、党員を企業の中枢に入れたがらないのはわからんでもない。しかし、そうなった責任は党中央にある。

石川島播磨をはじめとした経営側と対話するのも悪くない。むしろ積極的にやるべきだし、経営陣とパイプがつながっていたらできる世直しも出てくる。しかし、その前提、あるいは目標として社内で抑圧されている党組織にかけられている攻撃を止めさせるのが党中央委員会の責務であろう。それを逆に弾圧するとは....これでは財界との対話ではない。財界に尻尾を振っているだけだ。

なぜこんな情けない党中央委員会に成り下がったのか?日本共産党には外部との交渉能力がないからであろう。交渉能力がない原因は組織内で上級であれば下級を無条件に従わせ、従わなければ容易に排除できる民主集中制をとっているからだと思われる。いつも自分より弱い者を従わせ、強い者に逆らえない組織原則のぬるま湯に浸かっているから、自分と対等、あるいは格上との間の交渉は卑屈になることしか知らない者が多いのだろう。そしてそうした者ほど出世する。

それでもまだ共産党が企業から怖いと思われていた時代なら、なんとかなったかもしれない。しかし90年代ともなると、大学生に内定出す前の思想調査もされなくなったほど民青の能力は落ちていた。

優秀な学生=左翼かぶれの可能性あり
の時代から、
優秀な学生=少なくとも左翼にはかぶれていない
とみられる時代になっていたのだ。そんな時代に、のこのこ党幹部がやってきて真面目に相手をするほど財界はヒマではない!

むしろやるべきは裁判闘争を支援しながら、和解や提訴とり下げを材料に党組織への差別の撤回を求め、同時に自分たちがこれまでの政策方針を変更する用意があること。そして企業のために何ができるのかを検討しているとして交渉に入るべきなのだ。

いわゆるアメとムチ。共産党内での常識は世間の非常識。党幹部には、アメだけ持って行かないと相手にされないのだろうが、世間ではアメだけ持ってくるかつての敵など、負け犬がしっぽを振っているようにしか見えないのだ。

民主集中制を廃止しなければ、外部との交渉能力のない党体質がこれからも続くだろう。