日本共産党・民青同盟悪魔の辞典+

日本共産党や民青同盟、またやりよった……ぼやきのブログ

カテゴリ: 毎日が革命記念日!(夏)

1945年7月26日、ポツダム宣言。

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 今日は天神祭。
 日本全国的には、台風が近づいているようだが、花火は大丈夫だったのだろうか。

 東京神田祭、京都祇園祭とならんで日本三大祭といわれる。しかし天神祭は明らかに江戸とも京都ともちがう。江戸神樂囃子はあくまでも軽快で歯切れがよい。京都の祇園囃子は上品でおっとりしている。しかし天神祭は、大太鼓が活躍するせいもあるのだろうが、重低音で野生的でたくましい。この三大祭りに限れば、私は大阪の天神祭がいちばんお祭りらしくて好きだ。もちろん、地方に行けば、それぞれに魅力的なお祭りがたくさん見つかるにちがいない。


大阪まち物語

歴史のなかの大坂―都市に生きた人たち

泥の河 蛍川 道頓堀川―川三部作
天神祭―火と水の都市祭礼
なんででんねん天満はん―天神祭続きを読む

1927年7月24日、芥川龍之介自殺。河童忌。

芥川龍之介全集〈1〉

芥川龍之介の歴史認識続きを読む

 こんばんは。
 『ヒトラー 最期の12日間』が公開中です。このブログでも赤旗の紹介記事を取り上げてみました。オープンより3ヶ月、毎日3〜4件の投稿で、このブログのデータ量もかなり膨大になっています。過去の記事より、ナチスやヒトラーに関連した記事をピックアップしてみます。

 4月20日 「オリンピア公開」 は、天才女性監督レニ・リーフェンシュタール(1902年−2003年)による『オリンピア』の考察です。

 4月30日 「ヒトラー死す」では、『ヒトラー 最期の12日間』も早速紹介していましたね。この映画を見たかたには、『ヒットラーのむすめ』もおすすめです。

 6月12日 「アンネの日記」と「夜と霧」は、『ヒトラー最期の12日間』の映画にも原作にもあまり出てこなかったユダヤ人迫害の歴史を知るために。

 3月23日 「授権法成立」は、ナチスのイデオローグといわれた政治学者のカール・シュミットに対する考察。「左翼の再生は可能か」と問い続ける私たちにとって、「なぜナチスは勝利したのか」は、「なぜドイツ左翼は敗北したのか」を問うのと同じことでした。この記事で指摘されたナチスとドイツ共産党の蜜月関係については、

 6月30日 「レーム粛清とナチス左派」において、寄り突っ込んだ考察が加えられています。ドイツ共産党が、ナチス支持層を切り崩すために、ユダヤ人排斥を訴えていたという事実は、かなりのショックでした。

 以上が直接にナチス・ドイツに関連した記事です。ほかにも、

5月6日 「スターリン vs ヒトラー」(上)は、ソ連のスターリン側から見た独ソ開戦裏面史です。ヒトラーはあまり出てきませんが、しかし、どこでこんな資料見つけてくるんでしょうね?

 3月24日 「ヴィルヘルム・ライヒ」
 ドイツファシズムの勝利とドイツ労働運動の敗北を、ライヒほど真剣に受け取った思想家は、他にいませんでした。しかし、その先進性とラジカルさゆえに、ドイツ共産党からも精神分析学会からも追放されてしまいます。この異端の思想家に関する評伝です。

 左翼関係の本は入手困難な本が多いのですが、ここで紹介するにあたり、入手可能なものは、amazonのWebサービスにリンクするなど、若干の編集を行いました。皆様のご参考になりましたら幸いです。

                   「毎日が革命記念日」担当一同

1918年7月23日、米騒動。越中女一揆。

【写真】米騒動発祥の地
http://www.igasho.com/komesoudou.htm

 この日、富山県東水橋(魚津町)の漁民の女衆46人が、米問屋が港から米を船に積み込むところを目撃して、一家一人の動員をかけて浜に集合、「米を他国へ出してくれるな」と要求した。彼女らの夫たちは、樺太、北海道に出稼ぎに行ったものの、不漁のために仕送りはおろか、帰る旅費さえない状況だったのだ。続きを読む

1936年7月22日、バルセロナ人民オリンピック開催予定日。続きを読む

 1952年7月21日、破壊活動防止法施行。それに伴い、法務省の外局として、公安調査庁もこの日スタートした。破防法については、この暦の7月4日の項でも触れたので、繰り返さない。


【参考文献】
過激派壊滅作戦

警察官の現場―ノンキャリ警察官という生き方続きを読む

 1994年7月20日、村山富市首相(社会党委員長・当時)が、衆議院本会議の代表質問に対する答弁で、自衛隊は合憲であることを明言する。

 羽田新生党党首らの質問に答えたもの。自衛隊と憲法の関係について『専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものであると認識する』と述べ、1955年の社会党合同以来の基本政策からの大きな転換を宣言した。

 もちろんこの日の発言も、「日本国憲法の精神と理念が実現できる世界を目指し、国際協調体制の確立と軍縮の推進をはかる」という「軍縮の実現」とワンセットだったことは、付け加えておこう。自衛隊=合憲論という「土俵」にのってはじめて軍縮について語り合えるようになるというのが、村山社会党の言い分だった。続きを読む

 1898年7月19日、マルクーゼ(1898〜1979)生まれる。

 「あらゆる革命が、勝利を占めたかもしれない歴史的瞬間があったように思える。その瞬間はいつも空しく過ぎ去った。そのダイナミックのなかには、力の未熟や不足などの理由が妥当であるかどうかとは無関係に、自己敗北というひとつの要素がふくまれているようである。この意味では、すべての革命は、同時に、裏切られた革命であった」(マルクーゼ『エロス的文明』)

 ドイツ生まれのアメリカの哲学者。ベルリン大学とフライブルク大学に学び,フッサールやハイデガーの影響下にヘーゲル哲学を研究。1931年フランクフルト社会研究所に加入、ホルクハイマーやフロムらと協同して、マルクス研究を推進した。特に1932年、マルクスの『経済学・哲学草稿』がはじめてドイツ語で出版されたとき、「若きマルクス」に依拠して、マルクス主義とヒューマニズムの融合という課題に取り組んだ先駆者である。このためマルクーゼは、人間主義的マルクス主義の代表的な思想家の一人と位置づけられている

初期マルクス研究―『経済学=哲学手稿』における疎外論
ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ続きを読む

 1918年7月18日、ネルソン・マンデラ生まれる。

 「アパルトヘイトを廃止できたのは、もちろんマンデラの同志たちの動員のおかげでもあります。ですが、南アフリカに資本を投下していたり、あるいは白人権力に−−たとえばフランスのように−−武器を提供していたようなあらゆる国は、経済制裁によって困ったことになりました。そのとき、そうした国々は、民主化のほうが市場にとってより好都合となるだろうと考えたのです。

 諸々の原理と利害のこうした出会いを、マンデラはとてもうまく利用する術を心得ていました。彼は原理と省察のひとでもあると同時に戦略家でもあり、そして偉大な戦術家です。彼は白人権力に対して、白人権力自身の原理を反転して突きつけることに成功したのです」(ジャック・デリダ『来たるべき社会のために』岩波書店)

 きょうはマンデラの87歳の誕生日だ。この暦に関係ありそうな人物でいうと、ナセル、チャウシェスク、ソルジェーニツィン、いわさきちひろ等と同年の生まれである。



新書アフリカ史続きを読む

 1945年7月17日、ポツダム会談始まる。続きを読む

1917年7月16日、ボルシェヴィキ7月蜂起。続きを読む

 1922年7月15日、日本共産党創立。

 創立会議が開かれたのは、コミンテルン極東大会に徳田球一とともに参加した高瀬清の間借り部屋だった。出席したのは、堺利彦、山川均、近藤栄蔵、吉川守国、橋浦時雄、高津正道、渡辺満三の計8人である。
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 1789年7月14日、パリの民衆、バスティーユ牢獄を襲撃。

 「暴動か」と尋ねたルイ16世に、側近は「いえ、陛下、革命でございます」と答えたと伝えられている。

 「パリを離れて統治を行う王は、やがてその王位を失う」といわれる。革命の中心地パリは、当時人口およそ60万人。第三身分のブルジョアジーを中心に、パリの目はもっぱら商業に向けられた。パリ市民は王族の干渉をきらい、政治的な発言も強めていった。郊外の安全なヴェルサイユにいても、ついにルイ16世も革命の運命を逃れることはできなかった。

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 1789年7月13日、パリの選挙人会議が常設委員会を開き、コミューンの成立を宣言、国民軍結成を決定。明日はフランス革命記念日(巴里祭)である。続きを読む

 1925年、東京放送局(現在・NHK)がラジオ本放送を開始する。聴取者は5455所帯、受信料月1円だった。

 電話やラジオの発達には、小型で高性能で真空管が欠かせなかった。トランジスタやICの普及で消えかけたものの、「真空管アンプの音にはぬくもりがある」という熱心なマニアにより静かなブームだという。

 今日は、以前このBLOGでも何度か取りあげた木村哲人氏の著作をご紹介しておきたい。

 「真空管が消えたとき科学技術は妙な方向に曲がったのではないか。装置は半導体のブラックボックスになり、構造解説の参考書はなくなった。JIS規格はあってなきがごとく、製品の無法時代となってしまった。一年でキカイは旧式になり故障修理もままならない。電化製品は短時間に粗大ゴミと変わり環境を悪化させる」(木村哲人「真空管の伝説」)


真空管の伝説続きを読む

 1950年7月11日、日本労働組合総評議会(総評)結成。17組合397万人が参加 続きを読む

 1927年7月10日、岩波文庫創刊。

 現在、各出版社から出ている文庫本というスタイルを確立したのが、岩波文庫である。当時の社長岩波茂雄による(実際には三木清の筆になるといわれる)、岩波文庫発刊の辞「読書子に寄す」は、名文として誉れが高い。

 「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。」(「読書子に寄す−−岩波文庫発刊に際して−−」)

 マルクスもレーニンも、国民文庫版は、新刊の入手はほぼ絶望的だが、岩波文庫なら入手できる。日本左翼の歴史と切っても切り離せない、岩波書店の歴史を振り返ってみよう。
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 1955年7月9日、ラッセル=アインシュタイン声明

 半世紀前のこの日、イギリスの哲学者B.ラッセルらが核兵器廃棄などを提唱した声明。

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 1950年7月8日、マッカーサーによる警察予備隊新設指令。続きを読む

1937年7月7日、蘆溝橋事件。続きを読む

1967年7月6日、ビアフラ戦争勃発。


 ビアフラ−−それはアイルランドとノルウェーを合わせたよりも多くの人口をかかえる国だった。ビアフラが共和国としてナイジェリアからの独立を宣言したのが1967年5月30日。この日戦争が始まり、1970年1月17日にはナイジェリアに無条件降伏している。世界じゅうに味方になってくれる友好国はほとんどなく、積極的に敵対した国々のなかにはソ連と英国が含まれていた。

 ナイジェリアには大小あわせて300近い民族がいる。ナイジェリア社会、特に政治を分析する際には、ハウサ人(北部)、ヨルバ人(西部)、イボ人(東部)の3大民族の役割が大きいとされる。西部を代表する政治家は、このナイジェリアの地域差を次のように表現した。

 「西部と東部ナイジェリアの違いは、アイルランドとドイツくらいの違いがある。さらに北部ときたら、中国との違いほどもある」。この地域間の差異をさらに広げたのが植民地化であれば、これらの異なった地域を一つの国家になるように運命づけたのも植民地化だった。

 「いまもしビアフラが人類史の小さな脚注になるのなら、その脚注にはこう書くがよい−−<彼らは世界に対して、アフリカで最初の近代的な政府を与えようと試みた。彼らの試みは失敗に終わった>。」(「ビアフラ−−裏切られた民衆」)続きを読む

1949年7月5日、下山事件。

 初代国鉄総裁・下山定則が行方不明に。翌6日、常磐線綾瀬駅附近の線路上で轢死体で発見される。
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 1952年7月4日、破壊活動防止法が衆議院で可決・成立。
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 1912年7月3日、新世界ルナパーク開業 。
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 1776年7月2日、アメリカ独立宣言採択。

 この日、北アメリカ十三植民地が、イギリス本国からの独立を宣言した文書が採択された。独立宣言起草委員会委員の一人、ジェファーソンによって起草され、大陸会議(十三植民地の中央組織)での検討・修正を経て、7月4日に公布された。

 この独立宣言の内容は、以下の内容から成り立っている。

 ■前文……基本的人権、平等・生命・自由・幸福追求の権利、そしてそれを侵害する政府に対する革命権の主張

 ■本文…… 革命権行使の理由としての国王の暴政 28ヵ条を列挙して、本国議会・本国民の背信を弾劾

 ■後文……独立宣言
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 1921年7月1日、中国共産党結成。

 上海のフランス租界で、中国共産党一全大会(第一期全国代表大会)が開かれ、党が正式に成立した。

 この日の出席者は、党員57人のうち、董必武、毛沢東、張国?、李達、周仏海ら12人だったとされ、陳独秀を書記に、張、李を中央委員に選出した。しかし創立党員で中華人民共和国建国まで生き残り、かつ、死ぬまで党内で名誉を保ちつづけた者は、毛沢東だけである。続きを読む

 1934年6月30日、レーム粛清。長いナイフの夜。

【きょうのブックガイド】

いま、なぜネオナチか?―旧東ドイツの右翼ラジカリズムを中心に続きを読む

 1969年6月29日、ベ平連事務所に前日の新宿事件の容疑で家宅捜索。

 新宿事件とは郵便局への自動読取機搬入に抗議するデモに、機動隊が出動して催涙弾を発射した事件である。

 この暦では故・中西正和氏の「歴史データベースon the Web」を参考にさせていただくことが多い。この日は「1969年6月29日 新宿で反戦フォークソング集会が開かれ、64人が逮捕される」とあった。

 しかし過去の暦を調べると、1969年のこの日は日曜である。新宿西口反戦フォーク集会が開かれたのは土曜夜のことだった。これは新宿事件と取り違えてしまわれたのだろう。

 この当時、ベ平連の若者たちは土曜の夜ごと新宿駅の西口地下広場に集まって、反戦フォークを歌い、議論を戦わせていた。若者の数は数千人に膨れあがった。5月、当時の国鉄が学生たちの排除に乗り出し、7月を最後に広場から歌声が消えた。

 あの反戦フォークソング集会の中にいた女性が、あの頃と同じように、毎週土曜夜に、同じ場所に立ち、仲間たちと「戦争反対」を訴え続けている。大木晴子さんである。続きを読む

 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻、暗殺さる。

 オーストリア皇太子、フランツ・フェルディナント大公夫妻が、この日、ボスニアの首都サラエボで暗殺された。大公50歳、大公妃43歳、この日は、夫妻にとって14回目の結婚記念日だった。
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