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北海道の畠山和也たんが厚真町で慰霊式に参列したあとの後援会での決起集会での言葉。

今日は、いわさきちひろの誕生日。生きていれば100歳を迎えることになります。戦後、党の演説会に参加してから入党し、そのやさしさゆえ画家としての才能も発揮した、ちひろ。私が好きな1972年の随想「春のわかれ」を、今日の私の訴えの最後に紹介しました。

 「もう何年も前のことだった。私が共産党員だということを知らなかったある雑誌の婦人編集者がびっくりしていった。『こんなやさしい絵を描く方が、なんでまた共産党なんでしょう』と‥‥。私は、本当はやさしいところがあったからこそ党員の絵描きになったのに

 人を人とも思わない社会の風潮だったり、自己責任を押しつけて殺伐とした日本にするような政治の責任だったり。そんななかで、誰もが人間らしく生きられる社会をつくろうという日本共産党の議員や党員が増やそうじゃないか−−と呼びかけました。

かくいう自分も、そんな生き方をしているか。自問しながら明日もがんばりたい

 当時の共産党員のイメージがよくわかるエピソードで、ついでに言っておくと自分で「本当はやさしいところがあった」というのは、たぶん自分はやさしくないことを自覚していたのだろう。

てか、作品のイメージと実際の人の違いってのはよくあることで、共産党が大好きだった井上ひさしなど、妻を殺しかねないほどのDV野郎だったことはよく知られているわけで、一帯何をか言わんという感じなのだが、 バカ素直な人のようだからこれ以上は突っ込むまい。

なので自分で突っ込んでおく「ぼくちんやさしいから共産党に愛のムチを」
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