変える
奥田 愛基
河出書房新社
2016-06-17

ということで書評みたいなのを書いてみる。

読んでいて、ある種のうらやましさを覚えた。うらやましいと思ったのは、彼が社会運動を始めた時、仲間がいて、最後にはかなりの人数に膨れ上がったこと。私がそれっぽいことをしていた時、仲間は・・・そうだな、最終的には数人いたけど、最初は一人だった。それがうらやましい。


奥田君は北九州に生まれた。父親はよく知られているように牧師さんだ。それも気合いが入りすぎで、人生につまずいた人たちを一時家族として迎え入れて自立の面倒を見るような人。そんな家庭に奥田君はまず息苦しさを覚えた。「家の中にマザー・テレサがいるってウザくないですか」とは、なかなかセンスのある表現だ。こういうセンスの良さは、読んでいる時にそこかしこに散見される。


そんな家庭に育ったのに加えて、本人もそれなりに個性的だったのだろう。学校でかなりいじめられていたようだ。かなり苦しい経験だったようだ、多少は味方がいたのは幸いであった。しかし、そんな味方たちの輪にすっと入っていけるほど器用でもなかった。


「ネオ麦茶」こと、バスジャックをやって死傷者を出した犯人にシンパシーを覚える厭世的な子供時代は、沖繩の離島の中学に転校し、さらに島根県の全寮制のキリスト教高校に行くことで少しずつ変わっていった。しかし自分が何者なのかを問い続ける「自分探し」は続いていく。


そんな中で彼が選択する、3・11ボランティアや海外放浪は21世紀に生きる若者とは思えないくらい20世紀的だったりする。意外と古くさい人間だと私には読めた。

 

最先端を生きない(彼的にはいやこれが最先端だというかもしれないが)。これも彼は意識していなかったとは思うが、後に多くの高齢左翼を取り込むようになったSEALDsのキャラをはぐくむ原因になったろう。最先端に生きようとするなら、ハイテクか文学芸術に関心が行くが彼はそうはならなかった。あくまで目線は、自分探しである。


そしてTAZやSAPSPLを経てSEALDsと活動の場をその時の状況に応じて組み換えていき、一つのムーブメントの仕掛け人となるわけだが、ここで良かったなと思うのは休息期間がそれなりにとれたことだ。


人間、全力で突っ走れる時間はそれほど多くない。100mを九秒で走れる体力は一時間は続かない。42.195キロを最速で走れても、同じペースで100Kmは走れない。この休息がSEALDsの成功要因だといってわかる人は、全力疾走をやったことがある人だけだろう。


で、SEALDs結成後半年、要するに8/30日の国会前までで彼が相当疲弊していたのも、当然のことだと思いながら読んだ。私に言わせれば、体験上全力疾走できるのは半年が限度だからね。


そして彼らの運動は共産党を野党共闘に向かわせるほど現実の政治に影響を与えたのだが、その要因は何なのか。一つは、奥田君もわかっていないと思うが、時代の雰囲気だ。日本全体に漂う閉塞感の一つのはけ口として、若者の運動に期待が集まりつつあったこと。そしてこれは彼も意識はしていただが、デモや宣伝のスタイルを彼らの感性で変えたこと。しかし、それだけでは運動は成功しない。


本当の成功要因は何なのか?拙文の読者が実際にこの本を読む時の楽しみが無くなるので多少隠すが、WAKAKOことSEALDsのヤンキーねーちゃんをみんなどうやって「物理的に」支えたのかのところで、ぼくちん確信したね。


「仲間がいたら怖くない」・・・と書いてあるわけじゃないけど、「成功要因ってなんだ?」「これだ!」というコールが聞こえてきそうだ。


一つだけ批判をしておくと、彼は勉強の重要性は理解しているが、自分探しが主たる感心になっているせいか、自分たちに近づいてくる人は受け入れるが、自分とは異質な人の主張に耳を傾けようとする姿勢に欠けるように見えることだ。氏ねとか罵倒もたくさん目に入るだろう。しかし、中には有益な意見もあったはずだと思うよ。


あるいは、SEALDsの「防衛」を担ったしばき隊がなぜ批判されるのか、真剣に考えているとは思えない・・・というかその件は書いてない。それと同じ時期に発生した海外の学生運動に興味はあっても、年代的に三年と離れていない人たちが担った社会運動である東京大学教養学部自治会の全学連脱退運動なんかにも全然関心を持っているようには見えない。21世紀の東大闘争である、この運動はスタイルこそ二十世紀的だが、二十世紀の呪縛のロープを自分たちで断ち切ろうとした先行的な運動だったのに・・・このあたりがSEALDsの限界だね。


最後に一言言っておく。「偏差値28」に喜んでいるガキどもは一度この本を読んでから奥田を批判しろ。多少でも知性を持つ人ならできない。「いや、おれはできるぞ」と思う奴は、自分の頭が空っぽなのを呪えw。


だっておまえらじゃ、こんな修羅場に耐えられないから・・・耐えられるような連中は偏差値28なんか全然関心ないというか、彼の実績しか見てない。偏差値28の揶揄は、てめえのコンプレックスの裏返しだといいかげんわかれよな!大人の年齢に達しているガキどもwww


と書いていて頭が痛いのは、大人の年齢に達していてガキなのは学者の会やSEALDsシンパの芸能人文化人にもたくさんいるんだよなってこと。以前にも書いた覚えがあるが、SEALDsに群がる大人たちは、しばき隊界隈を始めとして年相応の運動経験がないようだ。いや、総がかりにはたくさんベテランがいるだろうと言う人がいると思うが、あの手のベテランは私に言わせれば失敗のベテランだからw。だって誰一人、どの組織も全学連の最盛期だった頃の影響力など持てなかったのだから。そうした運動に最も近いところまで追いついたのはSEALDsであって、だからこそおまえら金魚の糞やってんだろ?


だいたいSEALDsの親世代で年相応の運動経験があるなら、自分が若い時どんだけ馬鹿だったのか今なら見えるだろう。それが全く見えていないから30年遅れてやってきた学生運動志望のおっさんにしか見えない。よって有名人ならSEALDsの広告塔くらいにはなれても、本当の意味で能力のある、有力な支援者にはなれない。


そんなガキな大人を可視化したのもSEALDsの行った最も大きな社会貢献かもねw?