しんぶん赤旗
「敵の出方論」を持ち出されたので必死に反論を試みておりますw 

敵の出方論」をもちだして「暴力革命」の根拠とする議論が成り立たないことは、政府答弁が引用している1989年2月18日の衆議院予算委員会における不破哲三副議長(当時)と石山陽公安調査庁長官(当時)との論戦でも決着ずみのものです。

 同委員会で不破氏は、国民多数の支持のもとに政権を目指す日本共産党の綱領路線を説明し、「敵の出方論」について、日本共産党など統一戦線勢力が選挙で勝って政権についたとき、これに従わない勢力が暴挙に出た場合に、政府が取り締まることは憲法に基づく当然の権利であることを解明しました。これに対し、石山長官は、「政権を確立した後に、不穏分子が反乱的な行動に出てこれを鎮圧するというのは、たとえどの政権であろうとも、当然行われるべき治安維持活動です」と答えざるをえませんでした。

 その一方で、石山長官は、「敵の出方論」について、「民主主義の政権ができる前にこれを抑えようという形で、不穏分子をたたきつけてやろうという問題」もあると答弁しました。

 これに対しても、不破氏は、1970年の第11回党大会決議の「人民の政府ができる以前に、反動勢力が民主主義を暴力的に破壊し、運動の発展に非平和的な障害をつくりだす場合には、広範な民主勢力と民主的世論を結集してこのようなファッショ的攻撃を封殺することが当然の課題となる」との文言を読み上げ、反論しています。 

政権が、武力による反乱を武力で押さえつけようとする のはよくある話。しかし日本共産党は、戦争反対。、争いごとは話し合いで解決すべきという立場を取ってる。にもかかわらず、武力で押さえつけることを肯定しているのはおかしいw

政府答弁書では、日本共産党が「暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」と述べています。

 1950年から55年にかけて、徳田球一、野坂参三らによって日本共産党中央委員会が解体され党が分裂した時代に、中国に亡命した徳田・野坂派が、旧ソ連や中国の言いなりになって外国仕込みの武装闘争路線を日本に持ち込んだことがあります。

 しかし、それは党が分裂した時期の一方の側の行動であって、1958年の第7回党大会で党が統一を回復したさいに明確に批判され、きっぱり否定された問題です。 

所感派は当初コミンフォルム批判に抵抗し、国際派は肯定した。しかし武力闘争を積極的に推し進めたのは所感派であって、結果的に国際派も所感派も暴力革命を認めた・・・問題はどちらも暴力革命を行う能力がみじめなほどになかったから、限りなく言うだけ状態に近く、できなかったというだけ。

それでも中核自衛隊などの革命ごっこはやってたからねぇ・・・かわいそうに党の指令で頑張ってきた現場の若者たちは六全協で突如切り捨てられてエライ目に遭った。そんな時代の反省がないから、「暴力革命を放棄する」と言わなかったから今叩かれている。

国民連合政府について何度もボクちんが言っているように、いつのその場限りのごまかしをするからこうなる。党大会で正式に決着をつけないからこういうことになるのだ。何度言ったらわかるだろうね?