22日発売のこの本、TAMO2師匠がさっそく書評。どうやら発売前に書評依頼があったようだ。で、無断で全文掲載する。なぜなら、ぼくちんがそうすることを確実に予測していて文句を言ってこないのは未必の故意であるからだ(なんか違うが、気にするなw)
ちなみに22日から一部の東京の書店で手に入り、全国書店には25日から並ぶ。

松竹氏の著作は、当blogでのアフィリエイト対象としてはトップクラスの売上になるのだけど、個人的にはそれほど評価はしていなかった。なぜかというと、どことなく大きなテーマを素人が背伸びして論じているみたいな感触を持っていたからだ。たとえば、伊勢崎賢治タンの本を作っていながら彼と張り合って憲法九条と外交を論じるとか。普通は編者が著者の十八番と競合するようなことはしないのに、なんでまたこういうことをするのよと思ってた。勝てるわけない上に裏切りじゃんと思ってたわけ。




とはいえ、素性の悪い人ではない。現場経験はなくとも通用する分野なら勝負は出来る。従軍慰安婦は、そうしたテーマなのかもしないと、師匠の書評を読んで思った。この分野の現場経験のある人はほとんどいないし、いても文章書けないし・・・。

そんなぼくちんの感想が正しいかどうか、読んでみなきゃわからないのだけど。

 小学館の方からこの本のバウンド・プルーフ(見本本)を渡された。感想が欲しい、と。それをここに記す。

 著者の狙いは「慰安婦問題を終わらせる」ことである。勿論、文字通りの意味でみんな納得する形で終わるはずがない。本書が示すように、妥協の産物として 終わらせるしかない。その道筋を本書は示している。どうして終わらせる必要があるかというと、良好な日韓関係を構築するためである。

 多くの人は忘れているように思えるが、そもそも河野談話は右派・保守派が妥協点として肯定的に評価し、左派は「新たなる花代だ」(関連して創設されたア ジア女性基金について)として否定的に評価していた。それがいつの間にか右派は否定し、左派が評価するようになった。ちなみに著者は、国家が従軍慰安婦に ついて徹底的に調べた上で、日本国がギリギリ可能だった謝罪として河野談話を評価する。その背景には恐らくだが、日本共産党が独自に調査し――調査に動員 された人に小生の知人がいる――、いわゆる「強制連行」がなかったことをはじめとする、日本国の調査結果を裏付ける結果を得たからではないか。

 従軍慰安婦問題の難しさは次の点にあると本でも指摘しているが、「日本国は合法的にコトに関与していた」ことと「被害者にとっては(状況による)強制で あった」ことにある。だから、矛盾し、壊れ物のような河野談話という妥協しか方法はなかった。韓国は河野談話でこの問題を終わらせたかったのだ。しかし、 そこを壊したのは、結局のところは朝日新聞なのである。


朝日新聞はマイノリティー憑依し、挺対協をはじめとする「左派」にとって都合の良い物語を描き、それに合う事実が「あるかのように」報道した。それが端的 に表れたものが「吉田清治証言」である。これについては近年否定しているが、しかし、かの報道が齎した日韓関係への悪影響について朝日新聞が調査し、お詫 びしたとは小生は聞いたことがない。当時の盧泰愚大統領は言う。出典は「文芸春秋九三年三月号」)


 こうした問題は……日本が心からすまなかったと言ってくれれば、歴史の中に埋もれていくものだと思います(中略) ところが日本の言論機関の方が問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」
(p86)

 韓国政府も朝日新聞の被害者である。それだけではない。被害者の立場に寄り添うのはいいがマイノリティー憑依してしまってメディアとして必要な検証を同 時代的に行なわなかった朝日新聞は、被害者支援団体である挺対協をも追い込んだ。挺対協に同情するところは一辺もない小生でも、彼らもまた朝日新聞の被害 者――結果的に梯子を外された――であると思う。朝日新聞にはここまで含めて検証する義務がある。朝日新聞の罪は朝日新聞が考えているよりも深いことがこ の本を通じて分かった。

 さて。どうして日本ばかりが?という話は感情論として理解できる。また、ドイツでも従軍慰安婦制度はあり、東欧の占領地では「奴隷労働をするか、性奴隷 になるか」ということまでやっていた。それについてはナチスの大犯罪の陰に隠れてしまい、焦点を絞った謝罪も賠償もなされていないらしい。また、植民地支 配の中で行われた大虐殺などへの謝罪と賠償はあるにはあるが、たった四例に過ぎず、また過去の植民地支配について謝罪や賠償がなされたわけではないという 世界の情勢を著者は告発する。なお日本の植民地支配は、同族(同系)支配であり――華夷秩序が参照項――世界に例のないものであった。韓国の従軍慰安婦へ の謝罪と賠償が行われるならば、それは道義的にかつての欧米列強への批判となるであろう。

 従軍慰安婦問題の本質は女性の人権である。著者は慰安婦が慰められることが本質(あるいは一番大事なこと)であるという。異論はない。その観点から右派 や左派の政治的引きまわし、原理主義を本書で厳しく批判する。ならば、日本人従軍慰安婦も同じく慰められるべきである。だが。第二次世界大戦がどれだけの 被害を齎したかを考えるべきであると著者は言う。日本中で空襲があり、数十万人の死者が出たが何ら回復措置は取られず、裁判でも却下された。そういうのを 一々賠償していては、国家財政は破たんするという現実。それをかつてネットで書いたことがある。左派からは反応なし。
http://www.geocities.jp/tamo2_2/toushu_jikkenbeya/shazaitohoshou.html

 かつて宮本顕治は著者に間接的に言った。「もし自党が国民多数に支持され、実際に政権の一角を担っていたらどうするかを良く考えて(市民団体に)対応し なさい」と。さすがミヤケンである。出来もしないことを約束してはいけないのだ。だから、極端に甚大な、そして長年影響の出る被爆者救護をするが、金額に 直せばそれを凌駕するであろう空爆被害者には同様の約束は出来ない。従軍慰安婦に置き換えると、植民地支配により内地よりも過酷な状況に置かれた――根拠 は未成年の売春を禁じた国際条約を、植民地には適用しなかったこと――朝鮮人従軍慰安婦には謝罪と賠償をするが、日本人にはしない、ということになる。政 治には線引きが必要ということだ。

 原理原則だけでは政治は動かない。著者は『共産主義運動における「左翼」小児病』(レーニン)を踏まえた論理を展開する。大人の共産主義者なのだ。 「敵」から学ぶ。そして、敵に自分の論拠を見つける。上坂冬子、秦郁彦らの言説から妥協点を見つける。なお、真面目にこの問題を考える右派は、結論こそ異 なれど、認識において左派と大差ないことを本書は示している。従軍慰安婦はいて、強制性によって戦地に運ばれ、そこには軍の関与があった、と。だから、河 野談話で妥協可能なのである。

 さて。この理想と妥協(現実)の展開について、憲法問題に著者は当てはめる。これは著者のライフワークである。ま。これは後日改めて。


 この本は従軍慰安婦問題を「解決」こそしないが、論点を整理している。それを踏まえれば特に「左派」が罪深いことを再認識させてくれた。彼らの運動は必 ず失敗するのは何故かを知る上でもよいと思う。本書は4月22日から東京の書店に並び始め、25日には日本中に置かれるとのことである。是非手に取っても らいたい。