きょうの潮流
市川正一(セクハラだったかで除名になったのとは違う) の没後70年のコラム。戦争中に非転向を貫いたが力尽きた大幹部だが、当時こう言う共産党員は宮本顕治や袴田里見など少なかった。そのきっかけになったのが、佐野学、鍋山貞親の「共同被告同志に告ぐる書」というやつで、これにも載っている。


そこから怒濤の転向が始まった。
そこにとどめを刺したのが宮本顕治が小畑達夫をリンチ査問で殺した事件だったりする歴史は、今の若い党員は国会議員クラスを含めてほとんど知らないだろう。
追記
で、タイトル訂正のついでに言うと、荒畑寒村曰く、市川は一次共産党の解党が決まった時喜んだんだよねw
人は時期によって考えが変わるものだということ・・って転向もそうなんだけどw