【日本共産党の陥った罠−3】


 武装闘争の失敗と党の分裂という惨状の中、国際派主導で党の統一が図られました。そこでトップになったのが宮本顕治です。彼は議会制民主主義の力が強くなる現状を認め、選挙を通じて日本共産党が政権に就く道を選びました。とにもかくにも、この段階で、日本共産党は外国からの指示・指導を受け入れない、自主独立の党になったという点は評価すべきことだと思います。


 ただし、日本共産党の自主独立路線は問題含みでした。まず、諸外国の党からの不当な干渉を排したのはいいのですが、党内においては、かつて諸外国の党からコミンテルンなどを通じてやられたようなことを、党の幹部が下部組織に押し付けることは続きました。党が混乱した理由は党内の規律不足のせいであったと総括され、上意下達が民主集中制の名のもとに強められました。すなわち、構造的に何が問題だったのかという総括がなされたわけではありませんでした。こうして、異論については規律を持ち出されて排除される仕組みが出来てしまいました。以後、「ソ連盲従分子」「中国盲従分子」「新日和見主義」などなどのレッテルや、あるいは不正告発についてさえも規律を口実に排除されることが続きました。


 次に、平和革命路線という形容矛盾の問題です。日本共産党は議会で多数派を占めて革命をすると言いますが、先に見たように、「革命」というならば、それまでとは断絶的な変化があるということが前提で、それは議会を含め、何をどこまで破壊するのかという構想が必要なはずです。また別の見方をすれば、断絶なしで変化させるならば、そもそも「革命」なんかではなく、改良に過ぎません。日本共産党はこういう点を曖昧にしています。すなわち、日本共産党は革命政党を自称しながら、革命の問題を回避しています。繰り返しになりますが、議会を通じた平和革命というのは、それだけでは路線として不可能なことなのです。

(続)