ブサヨ言行録新々のご好意で、同社から2月1日あたりに発売予定の葉寺覚明氏の新刊「ブサヨ言行録」の一部を先行公開させていただく。あくまで一部なので、全て読みたい人は発売されてから買うようにw。

第一回は、教科書裁判で有名な家永三郎って、ソ連の犬だったそうでつw

 

労働者の祖国は素晴らしい1

 かつて、労働者の祖国とみなされてきた国があります。それはソ連です。

 

 本来、もしマルクス主義者であれば『共産党宣言』によると「労働者は祖国を持たない」はずなのですが、現実にソ連は「祖国」と呼ばれてきました。理由を考察すれば、かなり長くなるでしょう。レーニン=スターリンという偉大なカリスマを見出したが故に、夢見た幻なのかもしれませんし、プロレタリア文学などで描かれまくった、疎外されきった無産者たちがもしかしたら、やっとこさ「祖国」と呼び得る存在を見出したからなのかもしれません。ただし日本の左翼の場合は、お偉いさんはだいたいエリート様です。
 

 ソ連をその目で見る前に、現実には日本人でありながら「祖国」を見出すことができなかったひとびとの悲哀は、察するにあまりあるでしょう。しかし、ソビエトは当時の住民などの一部の例外をのぞき「祖国」とはなりえず、結局は消滅しました。

 かかる事象を徹底的に冷徹に考察するためには、私のような門外漢ではなく、すぐれた社会科学者の皆様が、様々な角度から、幾度となくアプローチを試みまくるという作業が必要なのかもしれません。

 しかし、ソビエトを「祖国」と見なしたひとたちの考察は、自分のようにあまり学がない人間でも、不可能ではないと信じます。可能な限り、アプローチをしてみようかと思っております。

 

 まず、社会主義の「本家」とされてきたのは、間違いなくソ連でありました。初期の日本共産党自身が「国際共産党日本支部」と称しています。ソ連をどのように評価するにせよ、社会主義を標榜した国家というと、その筆頭はソ連と相場が決まっています。それに、公認する機関はほかにないわけです。強いて挙げれば、中共をはじめ、他の社会主義国、あるいは各国の共産主義政党や、例えばローザ・ルクセンブルグのような高名なマルクス主義者たちです(もちろん実際の彼女は、権威たることを好まなかったのですが、高名さというのは必然的に「権威」というものを産みます)。
 

 別にこれだけでは、マルクス主義者以外のひとたちにとっては、まだうさんくさいディプロマミル(お金を出したら学位をくれるニセ大学)とあまり変わるところはありません。しかしソ連をはじめ、複数の共産圏などでは一定の成果物を出してきました。ましてや、ソ連は科学という分野でこそ資本主義国よりも優位にあることを証明しなければならない宿命を背負っています。そして共産主義そのものは、一定レベル人類に対して希望を与えてきたことは、疑いの余地がありません。
 

 まあ、そうした事情からソ連にあこがれを抱くひとが出るのもまあわかりますが、あとは、敗戦による過剰な贖罪意識の存在も、また否定できないかと思われます。

 保守系のひとたちがよく口にする言葉で有名なもののひとつは「自虐史観」という用語が、これは理由がない話ではありません。日本の左翼の中には、信じがたいことに広島・長崎への原爆投下を賛美していたドM発言すら見られたからです。これについてはあとで述べます。

 言うまでもなく日ソ中立条約を蹂躙し、満州で略奪をくり返し、シベリア抑留を行なったソ連という国は、多数の日本人の憎悪の対象であり続けました。当然のことでしょう。「国際共産党日本支部」としてスタートした日本共産党ですら当時はともかく、現在はソ連に対して否定的です。ここで「当時はともかく」と書いたのには理由があります。ソ連の参戦やシベリア抑留を賛美した連中がそれなりにいたからです。
 

 もちろん日本でも資本主義国である以上それなりに矛盾を抱えており、共産主義を日本人が受け入れる可能性はそれなりにあったようにも見えます。が、ソ連と共産主義とは同一視され、企業からカネをもらっていない(…とされる)日本共産党とてダークな歴史があるわあるわ。いわゆる新左翼も無差別テロや「内ゲバ」などで、ただでさえ少ない民衆の信頼を喪失してしまったりと、あんまりにあんまりな結果が多すぎたので、日本人の多くが未だにアカを信じてはいない状況だとは言えるでしょう。

 しかし、当時はよく言えば希望に満ちた、悪く言えば太平楽を言っても許容される時代でした。もちろん、政治家でもなければ責任を取らされることもありません。実にうらやましい連中です。そういう次第で、当時のマルクス主義の大御所、大内兵衛の発言を引用しましょう。いずれも、バカサヨパラダイス雑誌『世界』からです。

 

 

「……共産主義に対する恐怖は、主としてその革命的方法としての暴力と、目的のためにする階級的煽動とであって、共産主義そのものではない」

[『世界』(1953/04)]

 

「われわれ平和主義者はその遠い目標においても、その過程においても、資本主義よりも社会主義に親近を感じている」

[『世界』(1953/11)]

 

 

 この発言は終戦から数年もしないときの発言ですので、日本には「戦争アレルギー」がそれなりにいたことは大いに予想できますが、安易に「われわれ平和主義者は」と言ってしまう感性にも驚かされます。「平和主義者」にはマッカーサーを崇めていた連中がいたことすら無視するんでしょうか。ボケているのかと疑いたくなります。でもクスリじゃ治らねえだろうなあ。

 んで、こんどは別の文献からの引用ではありますが、戦前は天皇に忠誠を誓い、戦後からたいして時間が経っていなかったときは教育勅語を大賛美していた変節漢のくせして「良識」づらを続けていた家永三郎は、脳天気にもこう書いています。

 

 

「ソ連の参戦には日本国民には感情的な反発もあるが、日本はソ連への侵略をたえず計画していたから、ソ連の参戦に道理がないわけではない」

[『解放の道』(1973/08/10]

 

 

 ちなみに『解放の道』というのは全解連の機関紙です。部落解放同盟の悪口がたっぷり書いてあるので読んでいるとすごく面白いのですが、今回は言及しません。

 これではいくらなんでも、日ソ中立条約を蹂躙したソ連を、ここまで安易にかつ「感情的」の一言で済ませてしまうこの感性に、私はとてつもなくアタマが痛くなってしまいます。こんど医者にかかったら「頭痛がひどいんで…」と言って頭痛薬を処方してもらうつもりです。もしかしたら、精神科のクスリも必要かもしれませんね。ついでに障害者年金も申請したくなってしまいました。ガハハハハ。

 まあ冗談はこれくらいにしておいて、大内にしろ家永にしろ、安易に「われわれ平和主義者は」と口にしてしまう高慢ちきさといい、満州やシベリアで塗炭の苦しみを味わった日本人が現実に存在する以上、当然の反発である日ソ中立条約破棄にこだわる感性を「感情的な反発」と済ます厚顔ぶりにはあきれ果てますが、こんな妄言を平然と説く連中が日本のインテリや「戦争嫌い」に対しては、絶大な影響ぶりを示してきました。高学歴のくせしてバカかこいつら。こんなのをありがたがるバカに、官僚のことをあげつらう資格はないと考えます。

 こんな有様では、めんどくさい「歴史認識」談義以前の問題として、同じリクツを適用させると、尖閣を狙っている軍事力を使っている中国、戦後のドサクサで竹島を強奪して日本人を惨殺しやがった韓国…じゃねえや南チョソン人でなし李承晩悪党一味、そして北方領土を強奪したソ連に対しても、日本は場合によっては同じことを言う権利が生じてくる可能性が出てきてしまうでしょう。ましてや、ドヤ顔で「歴史認識」とわめいていたくせに、自身の変節に触れられると感情的になっていた家永のせりふです。こんな人間を賛美する連中というのにも心底呆れましたが、ツイッターなどでデマを飛ばしている人間に対してすらそれなりに支持者がいる現状ですので、人間というのはなかなか変わるものではないものなのかもしれません。