【ロシアの社会主義運動−5】

 臨時政府は戦争継続のため、歴戦の英雄であるコルニーロフを7月に臨時政府軍の最高司令官に任命しました。同時に、ケレンスキーは首相に就きました。コルニーロフは7月の労働者蜂起未遂事件などについて、背後にボリシェヴィキが糸を引いていると考え、また、ロシア軍の敗走の背後にもボリシェヴィキの暗躍があると考えました。そして、ソビエトにおいて力を増すボリシェヴィキがこれ以上強くなったら、ロシアは崩壊すると考えました。実直な英雄であるコルニーロフは、二月革命の時に「ロシアのために」ロマノフ二世を逮捕するなどして革命に加担しましたが、革命左派であるボリシェヴィキの増長はロシアを敗戦に追い込むと考えました。ボリシェヴィキら左翼の排除は、ケレンスキーも願いました。そして九月にクーデターは決行されました。しかし。まず、ケレンスキーは自分も排除されるのではないかと恐れをなし、ケレンスキー指揮下の軍隊の輸送に対して鉄道ストを指示したり、ソビエトに依拠した赤衛軍を作ったり、何とも腰の定まらないことをします。コルニーロフの指揮下にあったコサック軍はこれを見てやる気を失い、コルニーロフは逮捕されます。労働者や兵士はこのクーデター未遂を見て、臨時政府を見限り出します。そしてボリシェヴィキは力を蓄えていきます。7月の蜂起失敗後の危機により、レーニンはフィンランドに逃れていましたが、10月には帰国し、邪魔者と化した臨時政府を物理的に排除することを訴えます。

 

 有名な十月革命の直前について、よく「権力の真空」という言葉で説明されます。正式な政府の代表は臨時政府、だが力を持っているのはソビエトのはずだが、その内部は革命派もいれば自由主義者もいる、社会革命党も左派と右派、ボリシェヴィキとメンシェヴィキ、少数だろうが立憲君主制のカデットや自由主義者。ごった煮でとてもじゃないが意志統一は取れない。誰も本気で政権を握ろうとしているのか疑わしいし、本来自信家のケレンスキーさえも無能力状態。そんな中で、誰が権力を握り運営できるのだろうか、という問いが出た中でレーニンは「いや、ボリシェヴィキは権力を掌握する用意も実力もある」と言い放ちます。この段階では、もう、これまで例えていた「内部」は崩壊しているに等しく、形式と堕していました。後は誰がどのように排除するか、です。合意に基づいた議会的な手段は、9月クーデター未遂の段階で崩壊していました。そして、冬宮襲撃をメルクマールとする、十月革命が起こります。軍は実質崩壊、自由主義者は無力という状態で、力を蓄えたボリシェヴィキがクーデターを決行し、成功させます。この蜂起自身は、「革命」という言葉で想像されるよりもはるかに平和的で流血も少なく、成功しました。エピソードとしては、オペラ歌手のシャリアピンが前夜にオペラを平和に歌っていたことがあります。だが、このクーデターの後に様々な流血の惨事を含む騒動が待っています。