【イギリス、ドイツの社会主義運動−3】

 社会主義者鎮圧法は、最初は効果がありました。しかし、団結の力を見せる労働者階級と労働者階級は、徐々に勢力を伸ばしていきました。こんな法律があったら、社会主義者に関わらないようにするであろう多くの日本人と、イデオロギー大好き民族であるドイツ人は違うようです。そんな法律お構いなしに、議会に社会主義者を送り込みます。それも、選挙のたびごとに人数が増えていくという・・・。また、そんな法律で抑えこむよりも、色々と認めたほうがいいと、カイザー以下の支配階層は考えていたとも思います。ビスマルクが死去し、一八九〇年にはカイザーがこの法律を廃止します。(正確には更新せず)

 

 このような状況の時代ですが、同時に革命に関する見解も色々と変わったようです。まず、暴力革命の王道とでも言うべき当時のイメージは、バリケード構築、武装蜂起、暴力による有力者の逮捕、追放、政権獲得です。権力の外部に置かれた民衆は、自らを組織し、武装し、権力を丸ごと暴力で破壊し、追放し、新たな権力を打ち立て、自らが権力の内部になる。そんな感じですね。だが、権力側の武装も充実し、権力の外側の武装を圧倒するようになりました。一九世紀後半も差し迫り、エンゲルスが死去する前、彼は「バリケードによる武装闘争、権力奪取の時代は去った」と言います。かの王道のような形での権力奪取は、権力による鎮圧を招くだけで勝利出来ないであろう、と。将軍とあだ名され、実際に戦闘にも参加した老革命家であり、暴力革命の推進者でもあったエンゲルスは、ドイツをはじめとする西欧での暴力革命を、軍事的観点から否定するようになっていたと思います。

 

 議会を通じた各種闘争の可能性にエンゲルスは論及します。これは、見方を変えれば、社会主義運動や労働者運動=階級闘争の体制内化を認めていることになります。このような動きに関して、それを裏打ちするようなイデオロギーが、ドイツの社会主義労働党者——当時のドイツの社会主義者の党——に現れます。エンゲルスの一番弟子とも言われた、ベルンシュタインによる修正主義です。上のエンゲルスの説を踏まえた理論です。彼の書物『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』を要約すると、「階級の二大分化——マルクスの理論によると、極一部の大金持ちの資本家と、圧倒的多数の貧乏な労働者に階級が分かれるとされた——はついに起きず、議会を通じた変革は現実的となった、革命は今や非現実的な余計なものとなった」と。漸進的な改良で全てが上手くいく、というわけです。それに対して、激怒する人々が現れました。

 

 というのは、確かに労働者の運動は議会を通じて進むことが歴史的に示されたし、その成果を通じて、絶対的な貧困はなくなるか著しく減少し、総体として労働者階級の生活状態は向上した。だけど、貧困問題の根本にある私的所有——特に、生産手段の私的所有——の問題には手つかずだし、そこに手を触れようとすると、資本家は激烈に我々を排除するであることは、明らかではないか、そのもっとも根幹にかかわることをなそうとすれば、暴力(を担保した)革命以外に道がないのではないか、と。この反論も尤もに見えます。社会主義者が体制内化して、「認められた」としても、根幹に触れると無力化される、というわけです。

 

 この論争で、二人の人物が台頭します

(続)