【辞書によると?−2】

 1.の説明の何がおかしいかというと、『共産党宣言』では時系列的に下部構造の発展が前にあり、上部構造の変革は後になります。一方、1.の説明は、政治権力を握ること、すなわち上部構造を変えることが先になり、その後下部構造を含めた一切合財を変えることになります。前後が逆ですね。

 

 そういう次第で、この二つの説明は、排中律のように、お互いに相容れないように見えます。この矛盾していることをもう少し細かく見たいと思います。まず、封建社会の桎梏がどのように具体的に爆破されたかを見ましょう。思い浮かべやすいのは、フランス革命でしょうか。この革命は、非常に具体的に未来の設計図があったわけではありません。とはいえ、ルイ王朝のシステムが疲弊し、行きづまっていたこと、それに取って代わる気分があったことは確かでしょう。そこで、ルソーらが練り上げたイデオロギーである自由、平等、博愛を導きの糸に、暴動の結果貴族やブルジョアジーが得ることになった権力——こういう書き方をするのは、体を張った闘争を主体的に行なったのは、当時生まれつつあったプロレタリアートであり、決して貴族やブルジョアジーではなかった、勿論、ミラボーのように協力者はいましたが——を行使して、どのように社会を変えていくかが問題となりました。すなわち、フランス革命の一七八九年以降の段階においては、上部構造の変革に着手し、それを利用して下部構造を変革したのでした。

 

 このように、エンゲルスが「下部構造が変わってから上部構造が変わる」と説明した、封建社会から次の時代——資本主義社会とか自由主義社会とか名付けられるもの——に変化するとき、細かく見れば、その極点とでも言うべき時においては、「上部構造が変わってから下部構造が変わる」もののようです。というのは、革命で権力を握った人間集団は往々にして理念先行で上部構造を先に変えるけれども、昔から続いている下部構造は中々変わらないからです。勿論、下部構造が変わってきているから上部構造を爆破する革命を必要としているのですが、理念はさらに先にまで変えることを欲します。勿論、それが適合的かどうかは、試してみなければ分かりません。ここに革命の悲劇があると小生は思います。

 

 一旦まとめますと、時間のスケールの捉え方によって、革命において下部構造が先に変わるように見えることも、上部構造が先に変わるように見えることもあり得るんだと思います。ここで注意して欲しいのは、大きなスケールでは下部構造の変革が先行し、上部構造が桎梏となる極点においては、上部構造の変革が先行する、ということです。

 

 次は2.の説明「物事が急激に発展・変革すること。「産業—」「流通—」」について考えましょう。

 

(続)