インテリジェンスレポート2012/3

篠原常一郎氏の連載、「しんぶん『赤旗』に翻弄される日々」掲載

日本共産党にとって、赤旗がどれだけ大事な存在か。そして赤旗のためにどれだけ党活動が制約されるのかについてのエッセイ。

日本共産党中央委員会の年間政治資金のうち7割を占める赤旗部数の後退は、党活動そのものを痩せ細らせるほどの影響力を持つのは周知の通りだが、篠原氏が党職員になって驚いたのは、共産党組織の仕組みと活動がすべて赤旗中心に回っていること。

党の末端職員が活動する地区委員会の事務所は、事実上その半分が新聞販売店の機能に当てられていたという。

赤旗中心の活動の源流は、レーニンまで遡ることができる。「鉄の規律」をもつ「労働者階級の前衛党」の出発点として党指導部と党員、支持者を結ぶ血管として「全国的政治新聞の発行」が必要だとしたレーニンの考えを踏襲しているわけだ。ついでにいうと、このとき民主集中制も踏襲したわけ。

で、同じことを日本でやろうとした戦前の日本共産党は、政府の弾圧をかいくぐりながら発行されていたわけだが、命がけの活動の中核は、やはり赤旗の発行、配送なのであった。

篠原氏は浪人時代から入党し、予備校支部!に所属、支部には小池晃たんもいたwww

でもって、主たる活動は「学生新聞」の拡販であった。篠原氏は違うようだが、同時に民青にも入る人もいて、そうした人たちは民青新聞も拡販することになるという具合で、学生支部の活動も新聞の拡販配達集金でほとんと潰れたという。そして専従になってからも赤旗で同じことが続いていく。

1985年というと、後になって思えば赤旗の部数がピーク(355万部)に達し、ちょっと減っていて317万と言う時代。党的にはまだまだ伸びると思っていてミヤケンが50万人党員と400万読者を実現したら、専従の待遇を地方公務員並みにできると檄を飛ばしていた。

そこでみんながんばったが、部数は減り、当blogでも何度も書いている以前購読していた短期読者で見かけの部数を伸ばす自転車操業状態で部数を減らし続けて現在に至る。

その間、篠原氏もなんとか政治活動をやろうとがんばった時期があるそうなのですが、やはり赤旗がネックになって長くは続けられない・・・今も同じことなんだろうなぁ。せめて日刊紙を廃止して日曜版に経営資源を集中できたらなぁと思っておられるようである。