知識人とは何か (平凡社ライブラリー)
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久しぶりにたけし先生いじりをします。

文化予算増額を共産党は求めていましたが、通らなかった文脈でこういうことを

芸術家の皆さんは奥ゆかしい方がたが多く、「今年は未曾有の震災もあり、さすがに文化予算の増額を求めにくい」という声も聞かれますが、そんな遠慮は必要ないと思います。被災地では、演劇人や演芸家、オーケストラや歌手など、たくさんの方がたの公演や演奏が被災した人々を励ましています。

なぜ遠慮は必要ないのか?被災地でボランティア公演したら遠慮なく増額要求していいとする根拠がよくわかりませんが、なぜ「文化予算がつく」芸術家が遠慮する声が出るのかたけし先生はいつものように全く理解していません。

簡単ですよ。関東連合あたりとつるんで飲んだくれて灰皿テキーラやるような馬鹿を養うのに文化予算が使われているのを突っ込まれたくないんですよ。震災なら大義名分が立つから挙げているに過ぎない(todo風w)

だいたい文化予算関連で共産党の記事に出てくるのは全国的な知名度のある、いかにも金持ってそうな人たちばかり。その影でカネがないどころか限界集落で後継者の育成すら困難な状況下で伝統芸能を守っているようなところには文化予算は回らないんですな。

たとえば歌舞伎なら億の金を得て灰皿テキーラで遊ぶ馬鹿を養う金などさっさと斬って、存続危うい地方歌舞伎に回せよなんてぼくちんなんかは思うわけです。

そういうところにたけし先生が気がつかないのは、一つには党のテープレコーダーでしかない頭の悪さが理由の筆頭に上がるでしょうが、実際はだんじりまつりがさかんな岸和田で育った関係で地方の文化活動の困難さが見えないからなのかも知れません。

というたけし先生が岸和田出身であるがゆえ地方の文化活動の困難が見えない説が正しいのかどうかは
ぼくちんもいまいち自信がなかったりもするのです。が、もし党のテープレコーダーでしかないとするなら、そうなった原因はたけし先生にあるとしても、
そんなコンテンツの録音しか出来ない素材に、ろくでもないコンテンツを仕込む党指導部(要は不破)が一番罪じゃないかと思うわけです。タープレコーダーは、音を忠実に再現します。同じ楽曲を吹き込むにしても、音痴の歌声を吹き込んでも岩崎宏美の歌声を入れても同じように忠実に再現するわけです。

たとえば、ここに挙げた本、現代思想関係の造詣のある人ならニャッとするサイードの知識人論ですが、サイードが言っていることは旧き時代(多喜二の党生活者に描かれたくらいの時代)の共産党員のようなあり方が知識人であるべしみたいなことが書いてあるわけです。それが世界の権力からは嫌われ、現代思想の最前線にいる人からは絶賛され、一般の人は???というのが現代なのですが、サイードと党指導部との違いは党以外に認める人がいるかいないかです。

サイードは一般の人がわけわからんと思っていても、一応の敬意は払われるわけです。ものすごく頭のいい人にしか真価がわからない思想家として認められてますから(実際はそこまで難しくない。哲学思想の専門書が読めなくてもなんとかなる)。でも日本共産党の党指導部にはそんな敬意は払われていない。

その理由は何なのか、不破タンが理解していたら党財政や議席は今とそう変わらないかもしれないが、少なくともアカデミックな世界からは敬意は持たれていたと思うのですね。んで、カルトなんて揶揄されることもなかっただろうなぁ。