「綱領教室」 志位委員長の第7回講義/第3章 世界情勢—20世紀から21世紀へ(2)/自主独立のたたかい追体験 - しんぶん赤旗

いやはや、歴史の捏造の嵐だが、一部だけ突っ込んどこうか?

「大事なポイント」として、国際的背景について、スターリンが戦後ヨーロッパでは覇権主義の足場を固めたものの、アジア方面でほとんど足場がなかったため、49年にスターリンと中国共産党の劉少奇と「分業」体制を秘密裏に確認し、武装闘争路線を日本も含むアジア・太平洋地域に広める動きがあったとのべました。

 党の分裂と武装闘争の押しつけを招いた「50年問題」の経過をのべながら、党を分裂させた党幹部の徳田球一や野坂参三が「北京機関」をつくり、そこから武装闘争路線を流しこんだこと、これと宮本顕治さんらがたたかったことを紹介。そのなかで宮本さんが後年、「私自身のコミンフォルム観は大きく変わらざるを得なかった。自分たちが身をもって日々切り開こうとしている日本共産党のまさに内部問題についての、事情を知らない干渉の不当さというのが、私の到達点だった」とのべた言葉を引いて、志位さんは「ここで覇権主義の正体を見たり! となり、ここから自主独立路線への認識が全党のものになっていった」と強調しました。


宮本顕治は国際派、要するに当初武装闘争路線を賛美していた。反対とまでは言わないが、抵抗していたのが徳田や野坂の所感派だ。レッドパージで追放された徳田や野坂は亡命して北京に行ってから説得されて武装闘争路線をとることになる。

これに対し九州に飛ばされた宮本は、日本にいた分徳田や野坂よりは情勢が見えたのだろう。いつの間にか反武装闘争路線の親玉に大変身。自分が当初コミンテルンに嬉々として従おうとしてたいのは知らんふりという日本共産党の伝統を作ったw

それにスパイ野坂と宮本が和解して野坂を議長、すなわち党史上二度目のスパイが党最高幹部として君臨するという情けない歴史をたどったことも無視するんだからねぇ。。。