呉民商からネタをもらっているのだが、さて掲載しようかとしていると、さすがに呉民商もネタ掲載が遅れても仕方がないと思わせるであろうメールが来た。

カルト的に日本共産党を信奉する党員と、抗う中小企業の社長&工場長との物語。はじまり、はじまり・・・・・
初めまして。大阪某所在住の「虎の工場長」言います。
たまたま、ブログ見つけましたんで、
過去の話でもよろしいですか?
もちろん転載OKですよ!

今私は某中規模で金属加工をやってる町工場の工場長やってます。今の会社には中卒で入ったんやけども、
実はそれには理由があるんですわ。

もう20年近く経ったから話せますけど、
両親は熱烈な日共党員で小学校の時くらいまではそれなりの家庭だったんです。

しかし、同級生とおっちゃんとで甲子園球場に行って、
伝説のバックスクリーン3連発を見て帰ってきたら、その同級生の家が創価学会という理由だけで、3日間部屋に閉じ込められ食事もトイレも出来ないことがありました。

おまけに、小学校の卒業式も日共の何かで来えへんかったし、
中学校に入ったら完全に両親は日共に魂吸い取られたようで、ほかされたかのようにネグレクトされました

それで不登校になってしまっても、親は知らんぷり。結局そんな状態だったのでとても高校にはいける学力がなく、進路を決める三者面談さえも私と先生で話をして、
今の会社に就職しました。

そして独身寮があったので住み込みで働きましたが、
仕事と言うものの不安から最初は怒られてばかりで死にたいと思うこともありました。

そんな私の一番の理解者は社長です。
最初は怖いおっちゃんというイメージやったんですが、
二人で食事へ行ったときに、いろいろ過去のことも話して、とにかく家を出たかったと話しました。そのときに、

「学費の面倒見たるから、定時制高校行かへんか?」

といわれ正直ビックリしました。高校なんて考えてもなかったし、
中学校の勉強なんか
わからへんし・・・・・と考えていたら、

「心配せんでえぇ。ワシこう見えても、大学院修了で中学・
高校の教員免許も持ってからな。」

仕事もそこそこ覚えた頃から、
夜は社長に家庭教師をやってもらって、そのおかけで定時制高校機械科に入学しました。どうせ高校行くなら仕事の関係のあるとこで考えました。

先生も熱心に教えてくれて、仕事の知識も活かすことが出来て、
いつも間にかトップクラスの成績に
なってしまいました。

私は図に乗るタイプなので、
思わずまだその当時は大学に夜間の工学部が何校もあったので、社長に相談してみました。そしたら早速学校に電話して、面談に付き合うということになりました。成績と出席率から一般推薦でもよかったんですけど、せっかくやから社会人入試にするかということで受けました。

見事大学に合格して、今度は大学に通いながら仕事をしました。
大学と仕事が休みのとき仕事に関係のある技能講習などがあれば、積極的に受けましたし、必要な資格も取りました。

大学は自慢ではありませんが首席で卒業して、
学長から直接卒業証書をもらいました。卒業後は教授陣から「大学に残れ」という話が出ましたが、社長にここまでしてもらった以上は会社を辞めるわけにはいかへんし辞めたくもなかったんで、その話は断りました。

その後は段々と人を教える立場になり、
私と同じ境遇の中卒者が何人も入ってきました。残念ですが全員が高校に行っても卒業できるとは限りませんし、この近辺では定時制はやや遠くなり普通科だけになりました。

今一番若い子が、18歳で定時制高校の2年生ですが、
彼の面接には社長と私が対応しましたが履歴書を見ると全部ひらがなで書かれていました。そこで話を聞くと「学校に行けなかった」ということで
小学校入学早々に親が上履きなどの学用品を買うのに付き合ってく
れずにいじめられ、不登校になって
そのまま9年間を過ごしたため、
自分の名前さえも漢字で書けない状態でした。

やはり彼の家庭も、ガチガチの日共党員の両親で、
母親は10年近く議員をして当時は文教委員会に
所属していたのを聞いて呆れました。
父親は民商の事務局長でほとんど二人とも家にいない状態だったようです。

二人揃って「これは助けなアカン」という話になり、
すぐに採用し中学校を卒業するまでは仕事には就かせませんでしたが、寮で生活の面倒を見ることになり近所の中学校に転校させ、まずそこで卒業させました。

しかしとても定時制高校すら行けるレベルではなかったので、
夜間中学に2年間通わせてから昨年に
ようやく定時制高校に合格しました。

それで今年になって、その母親が私の会社に来やがったんですわ。
子どものことで来たんかと思ったら、赤旗の勧誘と献金要求だけに来ました。それで社長&私vsそのオバハン軍団の喧嘩になりまして、
冬場だったので「アカン道路が凍ってまう」
と塩化カルシウム30kgの袋を5袋選挙カーに撒いてやりました。さすがに意味不明な日共語を話しながら去って行きました。

一方私はといいますと、
高校の友人経由で知り合った女性と結婚し、一男一女の父親になり、何とかマイホームも建てることができました。ここ2〜3年は工場の実質的な責任者状態だったのですが、この4月に正式に専務付工場長と昇進しました。

ちなみに、
結婚式や子どもが産まれたときも両親は来ませんでした。結局、中学校以来20年以上会ってないことになりますか。

こんな日共が、
子どもがどうこう言っても鼻で笑う今日この頃です。