宮本岳志衆議院議員の不破哲三ヨイショは止まるところを知りませんw

「それぞれの社会は社会進歩の道を独自の道筋、独自のテンポで進んでいきます。その全体が人類社会の歴史を形成します。そういう歴史的視野を持って異なる価値観を持った諸文明に接する必要があります。」と不破さんは述べました。そこで再度問われるのは、冒頭にあげたマルクスの言葉です。「私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則」と「諸国民の交際の至高の原則」が一致すべきだというならば、これは私人間の関係にも妥当すべきでしょう。

私人にあてはめた場合ても、それぞれ一人ひとりの国民は社会進歩の道筋を「独自の道筋、独自のテンポ」で進んでいくことは明瞭です。それを上から「真理」を振りかざし、「押し付ける」ような態度で接したのではうまくいきません。押し付けるのではなく、「ともに考え、ともに前進する」立場で、国民的な体験を通じて、その認識を一歩一歩進めていただくことが大切ではないでしょうか。

真理を振りかざし押し付けるのは岳志先生もよくやっていたことで今もやっておられるのでしょうが、たとえば文芸評論の分野では、こんなことも言ってもおられます。

人々の「剛毅」のために、私たちが「口から注ぎ込む」べきものとはいったい何でしょうか。私にはそれは、社会をとらえる確かな目であり、社会の発展を科学的に見通す力にほかならないように思うのです。

ちょっと党から文芸評論で表彰されて赤旗などから書評の執筆依頼が舞い込んだけで文芸評論家を名乗っていたたけし先生。その場その場でテキトーなことしか言っていないのがバレたのは、もう何百回になるでしょうか・・・ま、岳志先生は書いたことをすぐ忘れて、昔のことをぼくちんが書くと「党内にスパイがいる」なんてお考えになる方ですから、しゃーないかもしれません。