静岡の民商が反乱を起こしたとの噂、まだ確認が取れていないが関連していくつかコメントやメールをいただいている。それらの内容を紹介。

まずは静岡民商
静岡市民氏のコメントや別にいただいたメールを総合すると
9. 静岡市民 2010年11月07日 12:30
補足しますと、静岡商工会の場合、党員が作ったのではなくって、戦後の強権的な徴税に対抗するべく零細業者達が集まって作りたまたま、事務局員として共産党員を雇ったのです。


というなりたちから作られた、民商の中でも比較的独立性の高い組織であった。しかし1963年、部分的核実験禁止条約の解釈の違いなどもあったからか、民商内の党員グループが代々木派(今の日本共産党系)と日本のこえ派(日本共産党の言う志賀一派)の対立が発生。全商連は当然代々木につくため、各地の民商でこえ派による全商連への反乱が頻発したが、その多くが代々木派によって鎮圧された。

当時の静岡民商でも同様の事態が発生し、日本共産党は静岡民商のこえ派三名を除名。その除名されたのが

4. 静岡市民 2010年11月07日 07:28
623様??話は60年代まで遡ります。1965年頃、静岡民商の事務局員3名が党中央を批判して除名されました。全商連=静商連はこの事務局員の?解雇を命じましたが、当時の静岡民商は党からかなり自立的立場だったのでこれを拒否します。そして、全商連から決別して静岡商工会として独立しました。71年には静岡市議会に白鳥良香氏を擁立して当選させ、単なる業者団体の枠を超えて国保値上げ反対や市庁舎建設反対?大型店出店反対運動など戦闘的業者団体となりました。??今でも静岡空港や浜岡原発反対運動に取り組んでいます。

のおっしゃる事務局員3名らしい。そして71年の白鳥良香氏を擁立して当選させたあたりから70年安保のどさくさで就職先がなくなった新左翼系学生が流入。出身母体は「革マル以外はみんないたw」という情況だった。そうした流れから日本共産党とは違った戦闘的商業団体としての性格を持った商工会となったようだ。


もう一つ、清水民商について

清水民商は80年代から現在に至るまで静岡最強の民商であった。組織率も活動力もかなり高かったという。実際、旧清水市の時代、日本共産党は静岡市より多い5人の市議を清水で当選させていたが、その背景には清水民商の貢献が相当あったはずである。

この頃に三議席あった静岡の県議の席も現在では一議席しか残っておらず、それが清水の花井征二の議席であることからも、現在も最強を維持していると見てよいだろうとのこと。
ただ、その花井議員も来期は厳しいそうだ。