タイトルもそのまま、なぜ「ハーバード白熱教室」に参加したか。を述べるたけし先生

先日開催されたわが党第2回中央委員会総会では、学生分野での「広大な空白」の克服を呼びかけましたが、私たちは、こういう社会問題に真面目に、真摯に、わがこととして取り組んでいる若者や学生たちと、もっともっと接点を持ち、彼らを励まし応援して、それぞれの問題のおおもとにどのような政治のゆがみが存在するのかをともに考え、ともに前進するようなとりくみが必要なのではないでしょうか。

この間、NHK教育テレビで放映されて大きな反響を呼んでいる東大安田講堂での「ハーバード白熱教室 in Japan」に、私が参加しようと思った動機も、そこにありました。


要はオルグですが、面白いのはここ
私の隣に座った学生は東大の法科大学院の学生でしたが、集まった学生たちは非常に優秀な学生たちでした。私がもっとも関心を持ったのは、そういった今日もっとも優秀と思われる学生たちが、そういう政治哲学の諸問題を真剣に議論する時、「科学的社会主義や、わが党綱領は、果たしてそういう議論の中で、なお知的・理論的先進性を発揮しうるだろうか」ということでした。

発揮するわけないじゃないw。科学的社会主義はカルト的社会主義に変化しているし、現綱領は掲げられて以来一度も党を前進させたことがない、試され済みの綱領でつw

議論が「自由競争・能力主義賛美、格差容認」というような方向や、「靖国派」のような方向に行って、私などが聞いていて違和感があるような方向に行くのか、それとも議論を深めれば深めるほど、私たちの考えとベクトルが近くなってゆくのか、そこを見極めたかったのです。私は、もはや学生ではありませんので、もとから発言は控えるつもりでした。しかし、議論が「弱肉強食何が悪い」というような方向に行ったり、靖国派のような方向に行って、反論がなければ発言せねばとも思っていました。

しかし結果は、発言する必要もなく、議論は学生たちの意見によって「公平な社会をつくることこそ正義である」「世代を超えて歴史に対する責任は負うべきだ」という方向に進んだのです。もちろん、格差が広がるような社会的構造の奥に何があるのか、「自虐史観からの脱却」などを主張する今日の靖国派が、決してアメリカに対しては従属からの脱却を主張しない矛盾など、私たちならばもう一歩踏み込むだろう点はありましたが、ベクトルは実に正しい方向を向いたものでした

仮にもハーバードで政治哲学をやっている人を相手に、こんな哲学もへったくれもない気色悪い文書を平気で掲げるくせに何なんでしょ、この傲慢な態度www