昨年、士別市議に当選した国忠崇史議員のデビュー質問を発見。これに日本共産党選出のベテラン、斎藤昇議員が噛みついているのも見つけた。

まずは国忠議員の質問
○3番(国忠崇史君)(登壇) 今回がデビューとなりました。まだおぼつかない点が多々あることと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、牧野勇司市長による新たな市政がスタートして、はや1カ月、市民の間に期待と不安が交錯しつつも、牧野市長が詳細なマニフェストを掲げて、あの市長選挙を戦い抜いたことを鮮明に記憶している方がいまだ多いのであり、今後のマニフェスト実現への具体的方策、更にはその過程をじっくり注視しているところであります。

アメリカでは、新大統領就任から100日間はハネムーン期間として、メディアからの大統領批判はなるべく行わないとされていますが、私もそれに倣い、市長就任の9月25日から来年正月三が日までは批判は慎み、微力ではございますが協力を旨とし、数々の建設的提案をすべく考えておる次第であります。

テーマの第3は、私の呼ぶところの「マニフェスト原理主義」についてであります。
マニフェストを掲げて選挙に臨む手法は、このまちの政治文化を大きく変えました。あの人が好きだとか気に入らないというレベルに終始する選挙は過去の話になりつつあるし、また、候補者の側も、抽象的でバラ色の、どこか口当たりのよいことを唱えていれば済むという時代ではなくなったわけです。詳しい政策や公約に従って市政を運営していく、その約束を見て有権者は投票行動をするという現象が生まれました。

この秋、市内のあちこちでマニフェストを熟読して話題にしている人を見かけたものです。このことは、市民、市議、市職員、市長のそれぞれの関係においても、今後4年間は常にマニフェストに対していかなる態度をとるのかが問われ、また、議論の原点及び土台として4年間マニフェストが存在し続けるわけですから、市政運営にとり有意義な変化をもたらすものと思います。

さて、マニフェストという言葉が初めて政治的な場面で使われたのは、1848年、カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスによる共産党宣言においてであります。そのマルクスたちの流れをくむ日本共産党が、最近は民主党政権をマニフェスト絶対主義の傾向があるとして、やや批判しているのは歴史の皮肉だと思いますが、確かに自分の出したマニフェストにどういう態度をとるか、一字一句を絶対に曲げないのか、それとも、状況や時間の推移に応じて変更を加えていく、いわば上書き保存していくのかは、とても難しい判断であり、市政の中でもひっきょう焦点となることでありましょう。

私は、マニフェストの文言絶対の立場をとらないが、そこに込められた原理原則を守り、議論が起こったときに、必ず一度はマニフェストの原点を確認に立ち戻るという、よい意味でのマニフェスト原理主義を唱えようと思います。今後もまた、マニフェストの変更を余儀なくされる場合はあるでしょう。ただ、その際は、マニフェスト作成に費やした言葉に倍する言葉をもって、機会をとらえ市民への経過説明をしなくてはならないと考えますが、この点、いかがでしょうか。


その後の市長の答弁は、マニュフェスとを大事にするが、状況によって変えなければならないこともあるかも知れない。しかしその時には市民と十分に話しあうとする、国忠議員の期待通りのもの。これに日本共産党の斎藤昇議員が噛みついた。
斎藤議員の質問
今度の選挙では国政でも市政でもマニフェストを国民や市民に示す選挙もこれまでになく本格的に行われて、それに市民や国民の関心が持たれたのも新しい展開の一つではないかと思っているものでもございます。

しかし、マニフェストは絶対的なものではないと私ども思うのであります。民主党の国政でのマニフェストもこれに国民が全部賛成したわけではありません。自民党や公明党の政治が進めてきた大企業や財界本位の政治、あるいはまた日米同盟を中心とするアメリカに追随するこれらの姿勢、日本の経済は世界の中でも大きいけれども、しかし国民生活のほうを見ると貧困と格差の広がりが国民生活をこんなに厳しくしている。こういう政治に国民は自民党、公明党の退場の審判を下したのだと思うのであります。

その点は市政においても、牧野市長のマニフェストもそれは絶対的なものではありません。市政の進展や市民の要求、これらにしっかりと傾け、いいものはより一層発展させていく、新たなものは市民の声にこたえて市政がしっかりとその実現のために図っていく、市政がこたえていく、そのことが求められているし、そういう答弁も牧野市長からきのうはされたところだと思うのであります。

昨日の国忠議員のように1年間は牧野市政への批判はしない、こういう宣言は市政に対する批判監督権、市政に対する議決権を持つ議会の権威を軽視するものであり、議員としてのその資質に欠けるものと疑わざるを得ないのであります。また、国忠議員がよい意味でのマニフェスト原理主義、こんな言葉は聞いたことはない。これは唱えるのはそれはいいことでしょう。どんな原理主義の宗教かはわかりません。それこそそういうマニフェスト原理主義を唱えるというのは、それこそ牧野市長のマニフェストを絶対的に見るその視点につながると思うのであります。私ども共産党が国政での民主党のマニフェストに対して、マニフェスト絶対主義的傾向を批判している。これは当たり前のことであります。そして、そのことを皮肉るというのはお門違いだということをこの際はっきりと申し上げておきたいのであります。


国忠議員は100日間は批判を慎むと言っているのだが、いつの間にか一年にされているのはご愛嬌としても、マニュフェストの始まりとして「共産党宣言」を出してきたのがグサリと来たのだろう。かなり怒っている様子w

皮肉りにカチンとくるのはわかるが、全然市長のいうことも聞いていないし、「マニュフェスト原理主義」がレトリックなのに専門用語か何かと変換するのはちょっとね・・・w
国忠議員が最初に出馬したときのごたごたは、他の市会議員も知っているだろう。そんな状況下この質問はまずい。むしろ国忠がやり込めたと解釈されたろう。

スルーすることも覚えなきゃね、斎藤議員。