1の続き。

2つめのテーマは、「合宿の里」としてのまちづくりについてであります。

本年3月10日に行われた遠山昭二議員の一般質問に対する田苅子進前市長の答弁でも、スポーツ合宿誘致の現状は厳しいと語られていましたが、その後の状況はいっそう厳しくなっています。その大きな要因は各種挙げられていますが、私から挙げたいことのひとつに、11月6日に予定されていた「旭川から韓国インチョンへの定期航空便休止」もマイナス要因として、非常に大きいのです。思い起こせば2008年北京オリンピックに参加したドイツ陸上選手団は、この航空便を利用して、士別を午前中に起ち夕方に北京入りしたわけです。つまり、旭川-インチョン便、そしてインチョン空港からの接続便を使えばその日のうちにアジア諸都市に行けたわけです。
国家代表レベルの合宿が行われたことで士別の名声もせっかく一度高まったのに、今回の事態で世界的な航空ネットワークから士別が立ち後れてしまうこととなり、アクセスが悪化するため、今後はますます厳しくなるといえます。

この問題では旭川市の西川将人(まさひと)市長が苦闘しており、最新の報道によると旭川インチョン便は季節運行便として来年春までの存続は確保されたが、今後の再定期便化は全くの未知数なのであります。西川市長を孤立させず、旭川空港を最寄とする周辺市町村全体で支えなくては、この地域全体が世界からおいて行かれる。市長および市幹部におかれては、ぜひそのような危機感をもっていただきたいが、どういう認識を持ちいかに行動をしていくか、お伺いしたいのであります。

交通アクセス問題の次は、合宿地士別のブランド化をとりあげます。
牧野市長の所信表明にも「道内各地での合宿招致が激化」とあり、このことは競争のなかで士別市のある意味での「陳腐化」を裏付けています。これからは「ラグビーなら(長野県の)菅平」みたいな、ブランドイメージの確立が急がれます。

そのためにこの際提案いたしますが、まずキャッチフレーズからして例えば「青春合宿のまち・士別」「汗と涙・スポ根合宿を士別で」など、インパクトのあるものにかえて差別化を図るべきであります。まずは、おっ!と思わせるタイトルが重要なのです。

また最近は、特徴をもったまちづくりには「ヨソ者・若者・バカ者」が必要だと言われます。まあ「バカ者」は不穏当なので「熱心な人、一途な人」と言いかえるべきでしょうが、そういった人たちを「(仮の名称)青春合宿の里士別・推進協議会」に加えるなりして、新市長就任とともに合宿招致スタイルも変わりましたよと、大々的に内外に知らせるべきではないかと考えます。
9月11日、札幌ドームでの日本ハム対ロッテ戦開始前、道内多くの市町村から宣伝用の着ぐるみキャラクターが集まり、3万人弱の観衆を前にイベントを行っていましたが、士別から参加していないのがさみしく感じました。市長も市議もサフォークの着ぐるみに入って全国各地でアピールするくらいに、体当たりで、士別市の宣伝と「青春合宿」の招致アピールを行う。そのくらい本気でないと、招致競争に勝つことはできなくなっていきます。不肖、私も着ぐるみの中に入る気満々ですが、市長の意気込みのほどを聞かせていただきたく思います。

テーマの第3は、私の呼ぶところの「マニフェスト原理主義」についてであります。

マニフェストを掲げて選挙に臨む手法は、このまちの政治文化を大きく変えました。「あの人が好きだ」とか「気に入らない」というレベルに終始する選挙は過去の話になりつつあるし、候補者の側も抽象的でバラ色の、口あたりの良いことを唱えていれば済む時代ではなくなったわけです。
詳しい政策や公約に従って市政を運営していく、その約束を見て、有権者は投票行動するという現象が生まれたのです。この秋、市内のあちこちで、マニフェストを熟読して話題にしている人を見かけたものです。このことは市民・市議・市職員・市長のそれぞれの関係においても、今後4年間は常にマニフェストに対していかなる態度を取るのかが問われ、また議論の原点および土台として4年間存在し続けるわけですから、市政運営にとり有意義な変化をもたらすものと思います。

さて、マニフェストという言葉が初めて政治的な場面で使われたのは1848年、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる『共産党宣言(Das
Kommunistische Manifest)』においてであります。

そのマルクス達の流れをくむ日本共産党が、最近は民主党政権を「マニフェスト絶対主義」の傾向があるとして、やや批判しているのは歴史の皮肉
ですが、確かに「自分の出したマニフェストにどういう態度をとるか」、一字一句を絶対に曲げないのか、それとも状況や時間の推移に応じて変更を加えていく、いわば「上書き保存」していくのかは、とても難しい判断であり、市政のなかでも畢竟(ひっきょう)焦点となることでありましょう。
私はマニフェストの文言(もんごん)絶対の立場は取らないが、そこに込められた原理原則を守り、論議が起こったときには必ず一度はマニフェストの原点を確認に戻るという、善い意味での「マニフェスト原理主義」を唱えようと思います。

今後もまた、マニフェストの変更を余儀なくされる場合はあるでしょう。その際は、マニフェスト作成に費やした言葉に倍する言葉をもって、機会をとらえ市民への経過説明をしなくてはならないと考えますが、この点いかがでしょうか。
ともあれ、熱い選挙戦のなかで醸成された市民の期待を希望へと代え、その希望をさらに一つ一つ現実のものにしていく責任が我々にありますことを最後に申し添え、一般質問を終了いたす次第であります。