穀田恵二タンのサイトにアップされたもの。

削除されるかもしれないのでコピペ

さて。
悲しいくらい内向き、あるいは党の中にしか民衆が見えていないお考えであり、大変悲しい思いがしました。

もし、日本共産党が選挙で50%以上勝てる確率があるのならば、百歩くらい譲った上で恵二様の仰ることが政治的に正しいでしょう。しかし、共産党単独の力はたかが知れています。事実、供託金云々レベルの敗北であったし、それは予測されたことではないですか。

「自公共共闘」という皮肉をご存知でしょうか。政治は結果が問われます。小選挙区制全てに立候補し、非自公の落選に結果的に手を貸してきたことに対する皮肉です。

老エンゲルスは「選挙は蜂起の一形態」と言いました。意味するところ(と教えられたの)は、選挙と雖も蜂起の一種であり、事前に勝敗を弁えて動くべきだ、ということです。その意味では、日本共産党の選挙戦なんて、殆ど兵隊の討ち死にに終わっているじゃないですか。そればかりじゃなく、潜在的に味方にするべき、例えば「連合」の労働者大衆、などの背後から銃弾を浴びせ、痛撃を食らわしているようなものです。

また、レーニンの故事についても書きましょう。ガポン僧正をご存知でしょうか。彼はツァーリの信奉者でして、偉大なるツァーリなら労働者の悲惨を改めてくれると信じ、誓願行動を行いました。勿論ツァーが労働者の味方であるはずもなく、血の日曜日に到ったわけですが、レーニンはガポンの愚かさではなく、大衆を率いた実力に注目し、接触しました。ツァーに期待するのが馬鹿げていると言うのは簡単です。しかし、大衆がそちらに束ねられるならば、それと係わるのが共産主義者というものでしょう。結果が悲惨と分かっていても、それに加わること。大衆と共に学ぶこと。それこそが共産主義者というものでしょう。

なお、小生の書き込みについて、何が「明白」なのでしょう。小生が書いたのは「結果」についてです。過程を問うほど政治的にオボコではありません。恵二さんおよび共産党が立てた問題設定――開発優先型の市政、神戸空港ではなく福祉をという立場――は、確かに重要ではありますし、小生も同意しますが、しかし、住民全てがその基準で投票行為に到ったわけではないでしょう。共産党らしい明確な大衆蔑視があります。

結局、自分たちの問題設定に乗る/乗らないで大衆を分断し、まつろわぬ人を排除する。市民運動で、労働運動で、行なわれ、それに対するカウンターでそれらから共産党(員)は排除される。新居浜のいくつかの大手企業はかつて共産党の牙城でしたが、30年ほど前に当然にも労組から「共産党排除決議」が出され、今でも共産党はタブーですが、それは歴史を知る者としては労組の当然の措置だと思いますね。

自分たちの「正義」を飲まないからと言って、「誤りは明白」なんて、そんな傲慢な議論が通用するのが国会なのですか。日本の国会も落ちぶれたものです。

また、穀田様:?あなたの言動で心を痛めているのは、必死になって松田さんの勝利のために奮闘した方々ではないでしょうか。とありますが、落選した陣営の大衆は、数だけでなくその悔しさから言えば、何十倍も心を痛めていることでしょう。大衆は共産党とその周辺だけにいるのではありません。

社民要撃はこれから何度も日本共産党によって繰り返されるのでしょうか。地道な所では良い仕事をし、それなりに信頼されているにも係わらず、どうして桁数から言えば消費税なみの支持率や得票率に止まるのでしょうか。得票率全住民からしたら微小な割合で「直近に行なわれた総選挙と帳票率は低いにもかかわらず、日本共産党支持の票と変わらない、また市会議員選挙での日本共産党の票を維持したことに、その期待が示されています」などと悦に浸っていられる、否、いざるを得ない哀れな状況にこれからも安住されるのでしょうか。

穀田さんの文章を見ると、そうであると断じざるを得ません。
投稿者: TAMO2 | 2009年10月28日 20:07