久しぶりの、大阪府委員会副委員長にして自称文芸評論家宮本たけし先生ネタでつ。たけし先生も所属する民主主義文学会の会員の小説「 ハンドシェイク回路」と芥川賞受賞作「 ポトスライムの舟」をほめておられまつ。特に「ハンドシェイク回路」には、たけし先生が出演されているそうで、著者の田島氏のたけしヨイショぶりはなかなかのものでつ。だからたけし先生、のぼせ上がりましたw

この小説が、これまでにない新たな境地を開いているのは、登場人物が類型化されていず、それぞれのネガ・ポジ両面を立体的に描いているところにあります。

ほほう、これまでの小説は登場人物が類型化されていたということですか?ラスコーリニコフもエイハブ船長も、シャーロック・ホームズも光源氏も類型化した登場人物だったとおっしゃる.....なんという審美眼の高さでしょうwww!

そして注目の最後っ屁。当blogに触れると倍返しされるのに懲りたのでしょう。今回はロスジェネに触れておられます。

 この間、「左翼」の一部に「仲間たちが放つリアルな言葉が時代を牽引していく」だとか、「左翼と現実とをつなぐ空間を設定する」と主張するむきがあります。しかし、私は左翼と現実との間に、それをつなぐための特別の「空間」や「言葉」が必要だという主張に残念ながら違和感を覚えざるを得ません。文学のリアリティというものは、なにか特別の「空間」や「言葉」から発せられるものではないはずだからです。

ぼくちんとしては、ロスジェネ宣言それほど感心しているわけではないのでつが、たけし先生、こんな質問にはどう答えられるでしょうか?

特別の空間が必要ないということは、日本共産党に入党なんかしなくても良いと主張されていると思いますがいかがですか?

特別な言葉が必要ないということは、党綱領なんて不要だと解釈していいわけですね?

ということで、既にたけし先生の主張の底が割れていることは明らかなわけですが、そもそもロスジェネって文学か?

雑誌に小説やエッセイは含まれてはいるが、雑誌は運動を広める媒体であって、本業は雑誌制作ではなくロスジェネ運動?みたいなものを目指しているように見えるんですが?

最後に、ちょっと興味があるのは、雑誌ロスジェネが何かのネタでたけし先生をヨイショモードで採り上げると、たけし先生がどう反応されるかでつw

きっと喜んで「掲載されました」「私たちの運動が党外にも広がっているようです」なーんて、満面の笑みを浮かべながら書かれるのではないでしょうかw?