高知の田舎暮らしボケ老人、simanto114が過去の武勇伝を連載している。いや〜面白いというか何というか、この程度の武勇伝に感動してコメントしているダルマパパに、ぼくちん一番「感動した」@小泉純一郎wwwwなのだが、面白いところをかいつまんでみよう。

中卒でクボタに入社した金の卵、若きsimantoは、将来のことを考えて高卒資格を取りたかったのだが、会社は取らせてくれない。ふむふむ……会社は夜間くらい行かせてやれよと思うが、たぶんsimantoはホントに高校に行きたくはなかったんだろうと思う。その理由はおいおい突っ込むとして、simantoらはストライキを敢行した。ここまではまあまあ、読めないこともない。しかし、お楽しみはここからだw

俺たちは、進学断念後、職場に配置されても、同僚の中でも、しっかりした奴を選んで、蟷螂の斧かもしれないが、会社に一矢を報いるために、メンバーを結成した。

とにかく会社の民主化を図るためには、俺たちの組織を大きくすること。影響力を広げるためには組合役員に進出すること…を決定した。いや〜大したもんだぜ。その未熟さは置いとくとしても、その心意気やよし…みんな、そう思わんかね…まだ18歳の俺たちが、社員数万人の大企業と闘おうと決めたんだぜ。

おお、すごいすごい。拍手(^^)//パチパチパチ

ある日の工場でのこと、昼のサイレンが鳴ったので、電気炉の電源を切り、昼飯に出かけようとすると、受け手側の班長がやってきて、電源を切らないでくれ…と言いだした。なんでやと聞くと、仕事が追われているので、昼食は、15分で済ましてくれと言う。その15分間も惜しいから軽く電気を通しておいくれ…ということだった。

こんなやり取りは、以前から何度もあり、俺は頭に来ていた。

休憩時間は、労働者の権利だろうが。何分かけて飯を食おうと俺の勝手だ。15分では帰らん。不在で電気を通しておくと危険だから、それも断る…俺は、この頃からNOと言える男だった。(笑)

ところがそいつが、しつこくからんでくる。「お前は、班長の俺の言うことが聞けんのか…」だと。。。俺はプチ切れた。てめえ、他所の職場の班長だろうが。俺の上司でもねぇのに偉そうに言うな…どうしてもと言うのなら、土下座してでも頼みに来いっ…と怒鳴ったさ。

ところがそいつは、俺の上司に言って、職場を変えさせてやる…ときた。俺は、やれるもんならやってみろ、と怒鳴りながら、仕事に使うバール(直径4臓長さ2辰曚)を振り上げて、そいつに迫った。班長さんは、俺の剣幕にビビってすっ飛んで逃げて行った。

おお、またもやすごい!さすがは平和を追及されるsimanto爺。さぞや迫力があったのでしょう。そうやって自分のやるべき仕事を次のシフトの担当におしつけたり、あるいは自分の残業代を増やす涙ぐましい努力をされていたのでしょうか?。しかも、こんな形相で……
双方とも黙りこんで「にらみ合いに入った」…とたん、俺は勝ったと思った。俺は、この時24歳になっていた。悔し涙を流した17歳のガキとは違う。当時の俺の「にらみ合い」に入った時の目つきは、自分でもビビるほど凄かった。

王貞治の全盛時の打席に入った時の目つき…ホークアイ…獲物をとらえる時の目つきの凄さ…古い方ならご存知だろう。あの王貞治と、そっくりの目つきだった。5分ほどで労務係長は目を伏せたよ。その後も、俺と「にらみ合い」になって5分持ちこたえた労務は一人もいなかった。
何と言っても、こっちは、何にも悪いことはしていねえ…と言う確信・信念があった。こいつは強いやね。

というくらいでつw。これがいかに笑える記述なのか、simanto爺にはわからないようでつ。それにしても労務の人は困ったでしょうなぁ。ここが炭坑なら、一発でギャフンと言わせるんだが、苦労知らずは……なんて5分以上笑いをこらえられなかったのかも知れません。


でも救いがひとつ

ある日、職長(現場責任者)と他の役職者が揃って、労務に抗議に行った。「あいつは、ホンマにようやる。元の職場に帰したってくれ」…と。後で、その話を聞き、俺は涙が出そうになった。

うんうん、それでよろしい。感謝の心が芽生えたということで真人間になりつつあるようだが、その後はこんなことをしまつ。

私の「完全な開き直り」と、全職場から湧き上がる「私への同情と、会社への批判」に手を焼いた会社は、私を営業へ 配転することに決めました。本社の人事部長から呼び出しがありました。私は、長髪をスポーツ刈りにし(今なら、さしずめパンチパーマというところか)下駄 をはいて、本社へ乗り込みましたよ。

これには、人事部長もぶったまげたようで、「下駄をはいて本社に来たのは、お前が初めてだ」…私は、すまして、「大事な話を聞くのに、日本古来の履物できました」と答えた。

人 事部長は、「飯でも食うか」と料亭に連れて行った。私は下駄をからころいわせて、後をついて行った。その後、組織とも相談したが、組織の決定は、「配転を 受け入れる」…というものだった。私は、たとえ裁判に持ち込んでも配転拒否で闘いたかった。しかし、組織の決定は厳正であるべきだ。

仕方な く、私は条件闘争に持ち込んだ。「俺は、ここの工場で働くことを前提にして、この会社に入社したはずだ。希望外の仕事先で働く意思はない。従って営業では 仕事はせんぞ。」、「俺は近く結婚する。寮でなくて一軒家を用意しろ。」(もちろん家賃は会社負担だ)、「差別された給料を元に戻せ。」…その他、いくつ かの条件を、会社はすんなりのんだ。

いつの間にか、高校に行くことなど忘れて完全にヤカラやってますw

そんな爺のお説教は、もはや引用することもはばかられますがひとつだけ見るべきものが……

人間、ロクでない問題の時は、なかなか引かないが、ここ一番、正念場においては、あっさりと引き下がる人が多い。これは、逆ではなかろうか…政治ブログシーンにおいても、よく見られる。

自分より頭の良い、論争に強い人には書き込み禁止。自分の強さを見せつける絶好の機会を閉じておいて、正念場で引くなとはね……やはりsimanto114、伝統的な共産党的体質を今も維持している。何かって?

言うことと、やることが違うwww