たけし先生、相変わらず不破タンヨイショに余念がありません。不破タンが一体何を言っていたのか分かりませんが、たけし先生の無知と革命的読解力がないのだけはわかります。だいたい不破タンが

「党生活者」には続編が予定されていたことを明らかにする

だなんて、不破タンもたけし先生も「党生活者」を最後まで読んだことがないのですね。それとも作品の最後に「(前編終わり)」と書いてあるの見えなかったのでしょうかwww

と、ここからはまじめに書きます。ここで触れられている民文で論争となる笠原問題というのがなんだかよくわかりませんが、関連するあらすじを書いておきましょう。主人公は倉田工業でストライキをさせようと頑張っていましたが、仲間が捕まったことをきっかけに逃亡します。

しかし、逃亡先のあてがなかったために笠原なる商事会社に勤めるタイピストのところに転がり込み、その後もアジトを作れなかったので笠原と夫婦の体裁を整えて某所に潜伏しつつ、ストライキを指揮しようとするのです。

で、この笠原タン、共産党に協力はしていたけども、主人公と同棲してから私生活の全くない党生活に疲れてしまいます。おそらくは主人公とホントに夫婦となる決心をしていたのでしょう。

しかし一緒に外を歩くことができない。自分は昼に働き夜に寝るのに、主人公は昼に寝て夜に党活動に出て行く。そんな夫婦として生活できないことに不満を募らせていたのでつ。

しかし、それでも笠タンは職場でアカとばれて解雇されてからも、生活のために女給に出るなどして主人公の党生活を支えます。しかし、主人公はそんな笠タンよりも自分が指揮する闘争にまい進してきた伊藤に心引かれる自分を見てしまうのでつ。
こんな人でなしの主人公の態度に、たけし先生は違和感を覚えたのでしょう。「ボクだったらもっと優しくしてやるのに」くらいのことを思っておられるのかも知れません。ちっちっちっ……だからたけし先生ダメなんです。

革命のためにすべてを犠牲にし革命の機械たろうとしている主人公は、そのような犠牲を気にしていてはいけないし、実際気にしないようにしようとしているではありませんか。しかしそこにプロレタリアの闘争に文学の入り込む余地がある……なんてどうしてぼくちんが自称とは言え文芸評論家を名乗る先生に教えてあげるなんて、親切にもほどがありますねw

ま、それにしても、こんなたけし先生を見ていると、日本共産党は本当に弱くなったものです。「党生活者」を読むと、共産党が志位質問を取り上げられたくらいで喜んでいるのが哀れでつ。

ワーキングプアの人たちの、本当の味方になろうと欲するならば「党生活者」のようにワーキングプアが働かされている職場にもぐり込み、彼らと共にたたかおうとは思わないのでしょうか?今は多喜二の時代と違って、職場闘争を仕掛けてクビになることはあるかもしれませんが、逮捕されることはありません。もちろん拷問されることもありません。「党生活者」の一節を引用します。

Sは私から一昨日入ったビラの工場内での模様を聞いた。色んな点を聞いてから、
「問題の取り上げは、何時(いつ)でも工場で話題になっていることから出発しているのは良いは良いが、――それらの一歩進んだ政治的な取上げという点では欠けている。」
と云った。
 私はびっくりして、Sの顔を見た。成る程と思った。私はビラの評判の良さに喜んで、それを今度は一段と高いところから見ることを忘れていたのだ。
「だから、つまりみんなの自然発生的な気持に我々までが随(つ)いて歩いてるわけだ。日常の不満から帝国主義戦争の本質をハッキリさせるためには、特別の、計画的な、それになか/\専門的な努力が要るんだ――そいつを分らせることが必要なわけだ……。」
 ビラは今迄に沢山出されてきた公式的な抽象的な戦争反対のビラの持っている欠点を埋めようとして、今度は逆に問題を経済的な要求の限度にとゞめてしまう誤りを犯していると云った。得てそういう右翼的偏向は、大衆追随をしているので一応評判が良いものだ。従って「評判が良い」という事も、矢張り慎重に考察してみる必要がある、私達は歩きながら、そういう事について話した。
「気をつけるというので、今度は木と竹を継いだようになったら何んにもならない。逆戻りだ! 今迄僕等は眼隠しされた馬みたいに、もの事の片面、片面しか見て来なかったんだ。」

とか、主人公がSの立場になった時に須山や伊藤らをみる時に

工場にいたときは、工場のなかの毎日々々の「動き」が分り、それは直ぐ次の日のビラに反映させることが出来た。今その仕事は須山と伊藤が責任を引き受けてやっている。最初私は工場から離れた結果を恐れた。ところが、須山たちと密接な組織的連繋(れんけい)を保っていることによって、浮き上る処か、面白いことには逆に、離れてみて須山や伊藤や(そして今迄の私も)眼先だけのことに全部の注意を奪われていて、常にヨリ一歩発展的に物事を見ていなかったということが分るのである。非常に精細な見方をしているようで、実はある固定した枠(わく)内で蚤取眼(のみとりまなこ)を見張っていたと云える。勿論それは私がヨリ展望のきく「地方委員会」などの仕事をしているというところからも来ているが。従って、私は自分の浮き上りということを恐れる必要がないことが分った。

なんてところを理解しているなら、志位質問がウケたとかいって喜んでいる場合じゃないことは一瞬にして分かるはずなのでつ。

多喜二が生きていたら、今こそ革命闘争の好機だと狂喜するところでしょう。でも現代の共産党を知れば、こう言うでしょう。

この日和見主義者め!