日本共産党・民青同盟をテーマにしていると、必然的にいわゆる護憲ブロガーの存在に気がつくのだけど、護憲ブロガー同士でけっこう争いがあるようだ。リアルな運動圏を知る人には、当たり前だろうと怒られそうだが、見ていてなんだかなぁと思うねぇ。

詳しくみているわけではないので、間違っているなら指摘して欲しいのだけど、彼らの特徴は、自分と同意見だと思えるブログを見つけ、トラックバックを打ってすぐ仲良しになる。が、その後のやりとりで思想的な違いが明らかになると、争いの末に相手を否定し、分裂するように思える。仲間だと思っていた者を批判することで評価を下げる人も多い。

批判で評価を下げる理由は、ネコかぶっていた品性があらわになるからだろうが、それよりも個人的に気になるのは、彼らは「信頼できる敵」という感情は持てないのかと言うこと。

当blog管理人は、以前から何度も書いているが、反共思想の持ち主であることを隠していない。だから、「反共だ」なんて批判は何の意味も持たないというか、「何度も書いておるだろうが、おまえは日本語読めないのかw?」で終了w

にもかかわらず、なぜ筋金入りの共産党員であったキンピーを応援するのか?簡単だ。キンピーとぼくちんは、思想的には相容れないところが多い。しかし、「こいつとはガチンコの話ができるな」と思える人物だからだ。

ぼくちんの言うガチンコの話とは、イデオロギーよりも結果を優先する話のことである。たとえばこんなケースがあると考えてみよう。某所で、悪徳保守市政が行われているとする。これに反主流派(そして少数派)保守系会派が、市政の正常化のため権力奪取を目論んでいるとする。そこで立場上できないことを

ぼくちん「共産党、やらないか?」
キンピー「オーケー、ただし××には賛成しろよ」
ぼくちん「了解。その政策はやらなきゃいかんもんな」
キンピー「でも××は本気で攻めるぜ」
ぼくちん「望むところだ、思いきり叩いたるわw」
キンピー「へっ、議会終わった時の泣きっ面が楽しみやでw」

なーんて密議ができそうだと思っているのだ。お互い敵同士、しかしそこには結果を求めるのにどん欲であると同時に、信頼関係がある。ぼくちんの立場からすると、共産党と通じているとすることを悪徳市政側に知られると攻撃材料にされる。共産党側も悪徳市政側にぼくちんの取引提案をチクられたりしたらぼくちんアウトとわかっていて、結果のためには仁義を守る。キンピーとぼくちんが逆の立場でも同じことをする。そんな信頼関係を持てそうな人材だと思うからこそ応援する。

ぼくちんが共産党議員と分かっていて応援する、ごく少数の人たちも同様に評価している。言い換えれば、ぼくちんがからかう、バカにする共産党議員やシンパは、人間として信頼できない。こいつには、たととえ同じ党に属していたとしても、安心して背中を任せられない。そう断定してよいと考えるから、叩くのだ。

そんな信頼関係、護憲派ブロガーたちは持っていないだろうな……群れるなら、信頼できる人間と群れなきゃ、それは砂上の楼閣でしかない。