実はネタに困って、あんまりいいエントリじゃないなと思いつつ書いた<a href="http://kinpy.livedoor.biz/archives/51243738.html" target="_top">昨日のエントリ。</a>ことのほかマルクス・レーニン主義についてよくご存知の方の関心を惹いたようである。<br><br>なもんで調子に乗って、歴史の講義……マネジメントの基本くらいは踏まえているが、出版モードでは書いていないので多少推定も混じるw……をしてみよう。<br><br>ネタは、<a href="http://www.tabiken.com/history/doc/O/O110C100.HTM" target="_top">レーニンのNEP</a>についてである。<br>最近の日本共産党はNEPを<a href="http//www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-04/13_0401.html" target="_top">「市場経済を通じての社会主義」</a>を目指す手段としてとらえ、もはや<font style="color: rgb(153, 0, 0);" size="3">資本主義国となった中国に媚を売っておる</font>わけだが、実際のNEPはそんな寝ぼけた政策ではなかった。実際は革命の後退と言うべきものであった。
組織は戦略に従う(事業部制の古典にして、とてもわかりやすくドラマチックでおもしろい。おすすめ)

革命後、ボルシェヴィキは戦時共産主義という、管理統制経済で難局を乗り越えようとしたのだけど、統制経済を管理する能力をボルシェヴィキは持てなかった。

それも当然で、当時のロシアの経済を統制できるようなノウハウなど、世界中誰も持っていなかった。国家のような多種多様な事業を行う、大きな組織の管理技術を最初に開発したのはデュポンやGMだったが、そんな試みが始まったのがNEPと同じ1921年である。

なわけで対応に苦慮したレーニンは、ロシア経済の活性化のために、がんばったら自分も豊かになる成果主義を導入した(わかってんのか?日本共産党!)。それがNEPなのだ。しかし、それでもロシア経済は「国家と革命」の理想通りには行かなかった。

だが、レーニンは天才であった。当時のロシア経済に必要なのは、政治よりも経営技術だと言うことは見抜いてはいたのだ。だからこそレーニンは、当初人間を機械の奴隷化すると否定していた、「トヨタ生産方式」の源流であるテーラーの「科学的管理法」を学び、生産性を向上させることを提唱したのである。

ちなみに、似たようなことを日本最初に思いついたのは松下幸之助で、天理教本部で楽しそうに働いていた人たち見て衝撃を受けて、名高い「水道理論」を発表したのは1932年のこどもの日(って、当時はなかったと思うが)のことであった。大きな組織の管理技術である「事業部制」を導入したのは、その翌年のこと。

で、なんで松下幸之助が天理教本部で働く人を見て衝撃を受けたのかと言うと、おそらく怠業に心を痛めていたのだと思う。管理職が労働者を「働けアホンダラ!サボっとったら賃金減らすぞボケ!」とか「やればやるだけ賃金あげてやるから働け!」と怒鳴るくらいしか工場管理のノウハウがなかった時代、労働者はいかに働いたフリをして労働生産性を上げずに賃金をふんだくるかに知恵をしぼっていた。

モダンタイムス コレクターズ・エディション

なわけだから、労働現場は楽しそうな雰囲気などまるでなし。チャップリンの「モダンタイムス」さながらの雰囲気だったと思う。そうした労働現場のあり方に異議を唱え、管理職は管理職らしい仕事をしろボケ!お前らがやらなきゃならないのはこんな仕事だ!と提起したのがテーラーの「科学的管理法」で、そこからフォーディズム、ドラッカーに連なるマネジメントのお話はまた別の機会に

……と、ここで「モダンタイムス」の×××に着目して、護憲派アマゾネス軍団あたりで「うはは、busayo_dicは墓穴を掘った!」と特攻かけてくる奴おらんかなw?とっても面白いバトルが見せられるんだがwww

それはともかく、結局何が言いたいのかと言うと、20世紀前半、レーニンと松下幸之助は同じ工場現場の風景を見ていたのである。そしてそれは、GMやデュポン、そしてテーラーも同様に見ていた。その中で、唯一レーニンだけが実行する前に斃れたわけだ。そこで歴史のIFを考える……それこそがNEPを理解する現代的意義なんだよな〜。

とまぁ、「市場経済を通した社会主義」について語るなら、これくらい書けないものかね?不破タンの子分で中央委員兼社会科学研究所メンバーの友寄英隆くんw?