ゲバラ コンゴ戦記1965

FK氏から四国ではおもろい奴がおらんと言われたので探してみたが、やっぱりこの人、土佐高知氏が面白い

共産党のエライ人らしく、ミヤケンの小畑虐殺に関して大論文を書かれたりしている。基本的に当blogで笑い飛ばすコミュたんとか、小川三四郎とか、コングロマリット橿渕とか、嶋ともうみとか、宮本たけしなどと違って、アタマは基本的に悪くない。ただ、よく読むと、抜けていることがままあるんだこれがw

たとえばこのエントリ、チェ・ゲバラについて書いているが、「チェ・ゲバラに捧げるエントリー」とあわせて読むと、一見破綻がないかのように見える。

ゲバラはボリビアでなぜ失敗したのか。第一に現地の進歩的運動、都市労働者との連携に失敗したこと、ボリビア農民を理解することに欠けていたこと、最後にCIAが強力だったことだ。

反共なのにゲバラ萌え、でもあまりよく知らないのぼくちんから見ても、この人はゲバラについてそれほど知っているわけではない。そして自分の頭でモノを考えている人ではなさそうだと思える。そう思う理由は、まずゲバラがゲバラがボリビアの前に、コンゴで敗北したのを知らないらしいこと。第二に、なぜ失敗したのかについての考察が甘い。

「なぜ、ゲバラほどの人物が」とも思うのだが、ある意味でゲリラ戦士としての限界年齢に達しつつあることの「焦り」もあったのだと思う。
ゲバラ自身「ボリビアでの日記」のみずからの誕生日(6月14日)に「ゲリラ戦士としての限界が近づいている」ことを記している。
「まだ頑健だ」とそれを打ち消しているが、ボリビア山中での持病の喘息の再発、悪化は、ゲリラ部隊の行動そのものを制約した。

40歳くらいがが限界年齢というなら、レーニンは47歳で、毛沢東は66歳で革命をやったわけだ。「焦り」があったのは事実だろう。しかし、焦りの本当の理由は、年齢ではない。ましてはボリビア農民を理解することに欠けていたから失敗したのではない。

焦っていた理由は、1965年二月、アルジェで行われた「アジア・アフリカ経済セミナー」の席でソ連にケンカ売ったことが背景にある。ソ連の言うことに従わなくとも革命はできるのだとコンゴに行って失敗。同じ失敗は二度としない覚悟でボリビアに行ったため、ゲリラ戦でいちばん大切な住民の支持を得られない状況に陥っても、逃げることができなかった。それが実態だろう。

ゲリラ戦争―キューバ革命軍の戦略・戦術 (中公文庫BIBLIO S)

だいたいゲバラともあろう者が「ボリビア農民を理解することに欠けていた」なんてあり得ない。住民を味方につけることがいかに大事か、ゲバラの著書「ゲリラ戦争」を読めば、いかにゲバラがこれを重視していたか分かる。だから、普通は理解を得ようとしたが果たせなかったと考えるのが自然であろう。仮にコンゴの件を知らなくても、なぜゲバラがそんなに焦ったのかについて考える。それが人間を理解する、しようとする者の知的姿勢である。

今一度言うが、土佐高知氏は馬鹿ではない。しかし、その主張は根本のところでリアリティーがないことがある。なぜなのか考えてみるに、この人は、これまでの人生において修羅場をくぐったことがなかったのではないだろうか?

負ければ社会生命を抹殺される。立ち直れなくなる可能性が高い。逃げたくとも逃げ場所がない。そんな強烈なストレスに耐えながら「殺るか殺られるか」のやりとりをやったことがあるなら、こんな文章は絶対に書けない。そんな経験もなしに、もし書けるとすれば、自分すら破壊したい衝動にかられ、裁判の席でしゃあしぁと殺人衝動について語る極悪犯罪者くらいであると思う。まさか土佐高知氏が宅間守のような外道だとは思えない。そうすると結論は限られてくる。

そしてそれは、現代の日本共産党の言うことが人の心に訴えかけないと問われる原因の一つなのではないのか……そんなことを考えるきっかけをあたえてくれたFK氏に感謝!


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