語られざる哲学

昨日、小林多喜二氏に呼び出され、読者からの要望があったとの由。本日は、わたくし、三木清がbusayo_dic氏に取り憑くことにいたします。

テーマは、日本共産党の富山を代表する俊英、坂本ひろし氏。彼の愚行を見るにつけ、わたしは対極的な人物、岩波茂雄を思い出す。

岩波書店創業出版の著者を夏目漱石と定め、説得に行き了解を得るや否や、実は出版費用がなく、玉稿のみならずご出資も賜りたいととのたまい、すでに功なり名を遂げていた夏目漱石に「こゝろ」を事実上“自費出版”させた逸材なり。

これをもって岩波の非凡を語るに十分であるが、岩波茂雄の本領は、なによりも岩波文庫創刊にあることは万人の認むるところであろう。当時「円本」と呼ばれた全集の大量販売で財をなさんとし、学芸の解放とは名ばかりの出版に狂奔するのを潔しとせず、独逸レクラム社を範として岩波文庫を創刊した偉業は、平成の時代ではイノベーションと呼ばれるのであろう。
岩波茂雄が売らんとしたのは、決して奇をてらったものにあらずして、古典的なものでしかなかった。しかれどこれが円本と云う器ではなく、文庫と云う新しき器に入れたことがどれほど大衆の支持を得るに役立ったか。現代の共産主義者たちには、知る由もないのであろうか。支持されないのには、相応の理由があるものなり。

目先の利益に目がくらみ円本を売ってきた者たちは、数年後大いに傷ついた。日本共産党もなるほど一時は成功したのかも知れぬが、現代の凋落はまさに今なお円本を売ろうとする出版社のごときなり。

しかるに、坂本ひろしは、今なお円本を売ろうとし、綿貫民輔のごとく新しき革袋に自らを注ごうとする気配もない。一昨日、しんぶん赤旗は2万号を突破せんとする記事があったと聞くが、創立一ヶ月も経たず機関紙一つ発行できなかった新政党にこうまで惨敗したことをどう思うのか。破れても目覚めないなら、なにゆえ「男たちの大和」に心動かされたのか。

坂本ひろしが供託金没収の常連を脱し、小選挙区と云う戦場で生き残る人材足ろうと欲するならば、綿貫民輔のごとく、党ではなく人物で富山3区をたたかうことが肝要なり。進取的なる民衆の切実なる要求は、そのような人物に向けられるのが必定ゆえに、わたしは岩波茂雄のために「読書子に奇す」を書いた。坂本ひろしのために我が拙文を書ける日はくるのであろうか……もう書いてるかw。