もともとチェコの言葉で「ロボタ(苦役)」という言葉が語源でありそうですが、カレル・チャペックの戯曲「ロボット(R.U.R.)」からロボットという言語が世界共通になったそうであります。

チャペックの生きた時代は、ヒトラーの台頭から第二次世界大戦に向かおうとしていた時代でして、ロボットという概念が無かった時代であります。ですから戯 曲の中のロボットも、私たちの知るロボットというよりは、もっと進んだヒューマノイドに近い形でありました。戯曲の中で、人間達はロボットに労働を押し付 け、女性は子どもを産まなくなり、やがて人類は破滅へと向かっていきます。アーノルド・シュワルツネッガーのターミネーターも同じで、あの映画を連想して いただければ、分かりやすいのかも知れません。

私たちの社会は、今まで人間がしてきたことの多くをロボットに頼って生きています。チャペックの戯曲に出てくるロボットより、まだまだ幼稚ではあります が、科学技術というものは確実に進歩しております。このまま行きますと戯曲のような破滅的な結末を迎えるかといえば、私はそうは思いません。なぜなら人間 は人間である限り、歴史を作ることが出来るからであります。このことは学生時代にチャペック論を書いた、元チェコ・ペンクラブ会長のクリ−マ氏も「ロボッ トがどんなに人間に近づいたとしても問題はない」と指摘しております。
しかしロボットが人間に近づく可能性と同じように、人間がロボットに近づく可能性もあるわけで、現代の日本でも、共産党のように候補者が金太郎飴状態の政党がありますし、小泉チルドレンといわれる人たちもそうであります。

「怖いのは人間がロボットになることだ」これはさっきのクリーマさんの言葉の続きでありますが、人間がロボットになった時の悲劇はナチスの中にも、社会主 義の中にもあったわけでありますが、こういった悲劇を避けるためには、人間性を奪うものに対して徹底して戦う必要があるように思います。

罵詈総論でした。