今月19日、二人の巨星がこの世を去りました。一人は「よい品をどんどん安く」をモットーに流通業界に革命をおこしたダイエーの創業者、中内功さんです。 もう一人は田中角栄の懐刀、中曽根康弘の知恵袋として知られ、鋭い洞察力と歯に衣着せぬ発言から「カミソリ」といわれた、後藤田正晴さんであります。

中内さんは1957年に大阪・千林商店街に「主婦の店ダイエー薬局」を出展し、それ以後店舗数を増やし拡大し続け、創業15年でダイエーを小売業として日 本一に育て上げました。一方、後藤田さんは官僚から政界へ進出し、当選回数が少ないのにも関わらず、歴代内閣の要職につくなど、その手腕は高く評価されて おりました。また警察庁長官時代には、多くの左翼テロの対応を指揮したことから、左翼の人たちにはあまり良い印象をもたれておりません。

経歴が全く違う中内さんと後藤田さんでありますが、あえて共通点を挙げるとすれば、お二人とも反戦・反軍国主義だったということではないでしょうか。中内 さんは関西財界トップの「徴兵制の研究が必要」との発言に強硬に反対し、「日本は東西の架け橋となるべきだ」と言われました。後藤田さんは後藤田さんで、 憲法9条改正には反対の立場で、もし改正するとしても、パリ不戦条約や国連憲章からの流れを絶対に変えてはならないと、常々言われておりました。

私たちの社会は、これからどのような方向に向かうのか、まだ先が見えてこないわけですが、戦中は兵士として徴用され、死線をさまよったお二人の言葉には重みがあります。

一方、護憲を標榜する我が共産党でありますが、彼らは事あるごとに「戦前の、あの暗黒時代から反戦平和を訴えてきた」「今の憲法は我々が要求してきたもの だ」といいます。共産党の戦前の活動や、共産党の憲法草案を知っている人には、あまり通用しないと思いますが、それをおいても憲法という重大な問題でも 「我が党が」という態度には閉口します。

彼らの言葉が軽く感じられ、「憲法を守る」という本気さが伝わってこないのはそのせいでしょうか。

罵詈総論でした。