今日は天神祭。
 日本全国的には、台風が近づいているようだが、花火は大丈夫だったのだろうか。

 東京神田祭、京都祇園祭とならんで日本三大祭といわれる。しかし天神祭は明らかに江戸とも京都ともちがう。江戸神樂囃子はあくまでも軽快で歯切れがよい。京都の祇園囃子は上品でおっとりしている。しかし天神祭は、大太鼓が活躍するせいもあるのだろうが、重低音で野生的でたくましい。この三大祭りに限れば、私は大阪の天神祭がいちばんお祭りらしくて好きだ。もちろん、地方に行けば、それぞれに魅力的なお祭りがたくさん見つかるにちがいない。


大阪まち物語

歴史のなかの大坂―都市に生きた人たち

泥の河 蛍川 道頓堀川―川三部作
天神祭―火と水の都市祭礼
なんででんねん天満はん―天神祭
 安政年間(1854−59年)の『摂津名所図会大成』は、「天下の台所」といわれた大坂の天神祭が隆盛をきわめていた様子を、こう伝えている。

 「御迎船(おむかいぶね)とて善尽くし美尽くし楼船(やかたぶね)に木偶(にんぎょう)をつくり、船諷(ふなうた)に絲竹の調を合せ、神輿の船を迎て引下る。此行粧を拝せんとて数百の楼船大河(おおかわ)を埋むが如く群集す。河岸にハ篝火を焚き、あたかも白昼に異ならず、船あそびハ三紘太鼓をはやし、唱歌の声うるわしく、花火は星降り、昇竜九天にかゝやき天……市中ハ棚車(だんじり)俄狂言昼夜限りもなくありて、浪華無双の賑ひなり」

 1864年(元治元年)には長州戦争、その翌1865年(慶応元年)には第二次長州戦争で、将軍家茂が大坂城に入城して、世情も緊迫する。この年、天神祭は中止になる。新撰組は天神祭を行うように、大坂天満宮に要求したが、この戦乱の世に神様にお出ましいただくわけにはいかないと、あくまでも拒否したという。大坂天満宮は豊臣恩顧の西本願寺とゆかりが深く、反幕勢力に与していたのが、その理由にあげられる。

 大坂を首都とした秀吉は、天満には御所を造営して天皇を迎え入れたいと構想していたようである。これは実現しなかった。しかし紀州鷺の森、泉州貝塚に移っていた本願寺を天満へ呼び戻して地内町を建設することには成功した。その後、本願寺は京都へ移り、現在に至る。この秀吉による本願寺移転は、当時の最大の脅威であり抵抗勢力だった一向宗を自らの監視下におきながら、都市建設に利用しようとするものだった。

 「天神橋ャ長いなァ、落ちたらこわいナ」(古い童謡)

 大坂にはこんな小話があるそうだ。あいまいな記憶で書くので、まちがいがあるかもしれない。地獄の鬼たちが、閻魔大王の許しを得て、浪華の天神祭見物にやってきて、舟を貸し切り見物していた。あまりの美しさと素晴らしさに、浪華っ子のいう通りまさに日本一の祭りだと、地獄の鬼たちも口をぽかーんと開けて見とれていたのだ。船頭がその様子に気がついて、
 「もしもし鬼さん、朝からめしも喰わで見物しておいでぢゃが、鬼に似合わぬ大人しいことやな。せんべいでも買うてあがらんか?」と親切に問いかけると、
 「イヤイヤ、それよりご馳走がある」と鬼がいう。
 「はあ。どこでっか」
 「橋の上見てみいな。押し合いへしあいしとるがな。そのうち橋が落ちて川にどぼんじゃ、そこを喰べちゃうのじゃ」

 阪神タイガースが優勝すると、大阪人は道頓堀に結集して川に飛び込むという。これも、腹をすかせた鬼の人身御供に進んでわが身を捧げようとする、心やさしい大阪人の伝統なのだろうか。今度、出張の機会があったら聞いてみたい気がする。

 《「よーいやさ」
 船からも河畔の家々からも、だんじりの掛け声に合わせて声があがった。女たちの嬌声(きょうせい)に混じって、酔った男の卑猥(ひわい)な叫び声も川面(かわも)に響いていた。真夏の空の下を、船は次から次へと絶えることなく流れていった。
 舟の家の薄暗い座敷に腹ばいになって、まばゆい外の光景を眺めると、だんじりも船の群れも、遠い夢のなかのきらめきのように思われる。
 「僕、のぶちゃんとこみたいな、普通の家に住みたいわ」》
                         (『泥の河』宮本輝)

 この『泥の河』の水上生活者は、廓船という設定だった。しかしこの当時の大阪の水上生活者で、いちばん多かったのは沖縄出身者だったという。水上生活者が多かったのが、現在は水没している大正区の北恩加島だった。ジェーン台風(1950年)のあとにできた湿地帯である北恩加島は、沖縄の言葉で「クヴングァー」(くぼ地)と呼ばれていた。

 住むところのない沖縄出身の人たちが、杭を打って水上住宅を作ったのが始まりだった。そして身内を頼って本土に渡って来た沖縄県人のバラックが増えていったのだ。それは生活費を切り詰めるための手段だった。しかしそんな思いを知らない日本人経営者は、沖縄の人たちを徹底的に差別しぬいた。昭和初期には、「職工募集、但し朝鮮人と沖縄人お断り」という張り紙が出されたこともあった。

 現在では、水上生活者は、すっかり姿を消してしまった。彼らはどこに行ってしまったのだろうか? どこにも行かない。今でもここに、私たちと共にある。沖縄と大阪、二つの故郷を持ったX氏のことを思う。