1927年7月24日、芥川龍之介自殺。河童忌。

芥川龍之介全集〈1〉

芥川龍之介の歴史認識
 「ブルジョワは白い手に
  プロレタリアは赤い手に
  どちらも棍棒を握りたまえ。

  ではお前はどちらにする?

  僕か? 僕は赤い手をしている。
  しかし僕はその外にも一本の手を見つめている。
  −−あの遠国に飢え死にしたドストエフスキイの子供の手を」
 (芥川龍之介「手」)

 本棚の整理をしていたら、高橋源一郎『文学じゃないかもしれない症候群』が出てきた。過去の文学の名作を、プロ野球にたとえて、「現役の名作」「引退した名作」「干されている名作」に分けているエッセイがおもしろい。

 源ちゃん(わが家ではかれをそう呼ぶ)が、「現役の作家」に推しているのが、太宰治。夏目漱石、川端康成、三島由紀夫も、文句なしの現役の名作だろう。ところが、「引退した名作」というものもある。長塚節『土』、田山花袋『蒲団』、伊藤左千夫『野菊之墓』などである。私の周囲でも、全員題名は知っていたが、誰も読んだ者がいなかった。

 芥川龍之介は、現役ではあるが引退したわけでもない。さしずめ、「干されている名作」だろうか。もっとも、今年度から、高校生向けの国語教科書には、『羅生門』が掲載されるという。ぜひとも、芥川の再評価が高まってほしいものである。

 「敗北の文学」については、以前取り上げた。芥川龍之介と社会主義の関わりについては、リンク先の『芥川龍之介の歴史認識』(新日本出版社)などを参考にしてほしい。この本の大きなテーマは、1911年、芥川龍之介が、徳富蘆花が一高の講堂で行った演説を聞いたかどうかということにある。なぜこの演説がテーマになるかといえば、このときの蘆花の演説は「謀叛論」と言われ、大逆事件に関して政府を厳しく批判するものだったからだ。ときの一高校長であった新渡戸稲造が文部省から戒告処分を受けたほど壮絶なものだったと伝えられている。

 ところで、『桃次郎の冒険』というミュージカル作品をご存知だろうか? 子供向けだが、実に痛快な作品である。「桃太郎」のその後の世界を、桃太郎の弟、桃次郎が冒険するお話である。三匹の家来は桃太郎に忠実なはずなのに……? 人間は正義で、鬼は悪者のはずなのに……? 

 このミュージカルを見て思い出したのは、芥川版「桃太郎」だった。こういう「楽しい芥川」ももっと知ってほしい気がする。

 芥川版桃太郎では、桃太郎が鬼が島の征伐に出発したのは、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったからだ。犬猿雉を家来にするときも、実に高圧的で横柄である。いちばんの違いは、「鬼が島」のとらえかたが、私たちの知る民話とは全く正反対のところだろう。

 鬼が島は絶海の孤島だった。しかし世間の思っているように、岩山ばかりだったわけではない。実は椰子がそびえたり、極楽鳥のさえずったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生まれた鬼は、もちろん平和を愛していた。鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、すこぶる安穏に暮らしていた。そして、鬼の老婆はいつも孫のおもりををしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。

 「お前たちもいたずらをすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒呑童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角(つの)の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならばまだいいのだがね。男でも女でも同じように、うそはいうし、欲は深いし、やきもちはやくし、うぬぼれは強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……

 この続きは、青空文庫、芥川龍之介「桃太郎」にて!
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html