1936年7月22日、バルセロナ人民オリンピック開催予定日。
 今から69年前、1936年、戦火に消えたオリンピックがあった。バルセロナ人民オリンピック。ナチス・ドイツのベルリン・オリンピックに抗議して、独自のオリンピックを開催しようとしたものだった。 人民オリンピックはエントリー23カ国、参加者数千人と、ナチスのベルリンオリンピックには及ばないにせよ、かなりの大きなイベントになる予定だった。しかし、7月18日のスペイン軍部の反乱により中止となる。 労働者・民衆は、フランコに対して武器をもって立ち上がり、ここにスペイン内戦が始まった。こうして人民オリンピックは、「幻の祭典」となった。メイン・スタジアムでは、パウ・カザルスが人民オリンピック前夜祭のための最終リハーサルを指揮している途中だった。1992年のバルセロナ五輪のメイン・スタジアムは、この日の会場を改装したものだった。

 スペイン内戦は、義勇軍に従軍したオーウェルの『カタロニア讃歌』、ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』などの作品で知られている。「人民オリンピック」参加のためにバルセロナに集まっていた選手たちが目撃したのは、革命の首都バルセロナの民衆と正規軍との市街戦であり、正規軍を逆に敗退と降伏に追い詰めていく民兵たちの誇り高い姿だった。この事実に感動して、選手団のなかに実際に銃を握った者もいた。やがて、世界各国から義勇兵が訪れ、言語単位、国籍単位で部隊を編成することになり、それが55カ国、約4万人の外国人義勇兵の部隊「国際旅団」が編成されることになるだろう。

 スペイン内戦とカタルーニャの歴史について、触れようと思ったけれど、後日、またこの項に追記してみたい。

 そのかわりに、今日は最後に、あるかたの卒業論文をご紹介しておきたい。1936年ベルリンオリンピックで「日本人」として金メダル表彰を受けた孫基禎、1964年東京オリンピックの円谷幸吉、二人のランナーに焦点を当てた、力作のオリンピック論である。御自身がアスリートとのことで、二人の先駆者にたいして、実に愛惜に満ちた、いい文章だった。

 もとより面識もなく、このサイトにも関係ない若いかたなので、このサイトを批判されるかたも、応援していただけるかたも、共産党もキンピー問題もどうでもいいかたも、くれぐれも誤解なきようにお願いしたい。こんな文章に出会うこともあるので、ネットも捨てたものではないものだと考えた。

川村庸介氏「時代を駆け抜けたアスリートたち ―42.195キロのナショナリズム―」