このブログの暦で、幸徳秋水という人の話が度々出てきます。その秋水と昨日の罵詈争論にちなんで、人間の内面に目を向けた社会主義運動家を取り上げたいと思います。

秋水と同じく、大逆事件で逮捕された真宗大谷派僧侶、高木顕明であります。彼は淨泉寺住職でしたが、門徒(お寺を支える地域の在家信者)180戸のうち120戸は被差別地域の住民で貧しく、彼らとの交わりの中で、平等の精神を育っていきました。また多くの僧侶が国に従い、国体神話の普及を推進する役割を果たす中で、顕明は僧侶達を徹底して批判し、非戦の教えを説きました。


社会をつくる仏教―エンゲイジド・ブッディズム
顕明は1904年、日露戦争開戦から3ヶ月後、ついに「余は社会主義」という文書を出します。宗教家らしく、南無阿弥陀仏の教えは社会主義の実践だと説いております。

『南無阿弥陀仏は天竺の言葉であって、真に“み仏”の救済の声である。闇夜の光明である。絶対的平等の保護である。これは官吏にも富豪にも安らぎや慰めを与えるが、弥陀の目的は主として平民である。庶民と呼ばれる人々に幸福と安慰とを与える偉大なる呼び声である。

諸君よ、願わくは我らと共にこの南無阿弥陀仏を唱えて、今しばらく戦勝をもてあそび万歳を叫ぶことをやめよ。なぜならばこの南無阿弥陀仏は平等の救済をしたまう声なのだから。
諸君よ、願わくは我らと共にこの南無阿弥陀仏を唱えて貴族根性を去って平民を軽蔑することをやめよ。なぜならばこの南無阿弥陀仏は平民に同情の声なのだから。
諸君よ、願わくは我らと共にこの南無阿弥陀仏を唱えて生存競争の念を離れて共同生活のために奮励せよ。なぜならばこの南無阿弥陀仏を唱えるのは極楽の仲間なのだから。

この様に、念仏の延長線上で“み仏”の教えを精神的なものから更に進ませ、社会制度を平等社会へ向けて根本的に一変する、というのが私が確信したところの社会主義である。単に経済構造が変わるだけの社会主義ではだめなのだ。精神的にも変わらねば!』

顕明の逮捕後、真宗大谷派は顕明を左免、死刑判決の後、もっとも罪の重い擯斥(ひんせき)となり宗門追放となります。その後、無期懲役に減刑されますが、収容先の秋田監獄で自害します。顕明は無実でありました。

これは一つの例にしかすぎませんが、社会主義に魂を入れようとした顕明。それに比べて日本共産党は、そういった部分の議論を避けてきたように思います。顕明を迫害した大谷派は、過去のあやまりを認め、名誉回復を図っております。顕明の原点である部落差別に無批判であった真宗本願寺派も、近年機会があるごとに自分たちのあやまりを信者に説き続けています。
党内体質の改善が出来ない今、共産党員に必要なのは、人間の内面の部分、「魂」を見つめなおすことではないでしょうか

罵詈争論でした。