1898年7月19日、マルクーゼ(1898〜1979)生まれる。

 「あらゆる革命が、勝利を占めたかもしれない歴史的瞬間があったように思える。その瞬間はいつも空しく過ぎ去った。そのダイナミックのなかには、力の未熟や不足などの理由が妥当であるかどうかとは無関係に、自己敗北というひとつの要素がふくまれているようである。この意味では、すべての革命は、同時に、裏切られた革命であった」(マルクーゼ『エロス的文明』)

 ドイツ生まれのアメリカの哲学者。ベルリン大学とフライブルク大学に学び,フッサールやハイデガーの影響下にヘーゲル哲学を研究。1931年フランクフルト社会研究所に加入、ホルクハイマーやフロムらと協同して、マルクス研究を推進した。特に1932年、マルクスの『経済学・哲学草稿』がはじめてドイツ語で出版されたとき、「若きマルクス」に依拠して、マルクス主義とヒューマニズムの融合という課題に取り組んだ先駆者である。このためマルクーゼは、人間主義的マルクス主義の代表的な思想家の一人と位置づけられている

初期マルクス研究―『経済学=哲学手稿』における疎外論
ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ
 1934年にナチスの手を逃れてアメリカに亡命。1940年にはアメリカ国籍を取得して、第二次世界大戦後はコロンビア大学やハーバード大学などのロシア研究所をへて、1965年カリフォルニア大学教授となる。主な著書に『初期マルクス研究』『理性と革命』『エロス的文明』(1955)『ユートピアの終焉』(1967)などの著作がある。

 フランクフルト学派は、「正統派」マルクス主義の教条主義に反対しながら、現代の批判理論を展開したことで知られる。ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼ、ベンヤミン、フロム、戦後のハーバーマスやシュミットまで、オリジナリティあふれた思想家・研究者を輩出した。フランクフルト学派の拠点だった社会研究所には、コルシュ、ルカーチ、福本和夫、そしてかのゾルゲなどもいたことで知られる。映画『スパイ・ゾルゲ』で最近脚光をあびた国際共産主義者の反戦運動と、フランクフルト学派がつながっているのは興味深い。

 『自由からの逃走』のフロムに比べると、マルクーゼはメジャーとはいえないが、60年代の学生運動・新左翼運動に大きな影響を与えた思想家であることは間違いない。フランス5月革命では、マルクス・毛沢東とならんで「3M」と称されたこともあった。

 なぜ、それだけ当時の青年左翼層に受け入れられたのだろうか? 簡単にいうと、マルクーゼの議論が、高度に発達したアメリカの大衆社会状況を踏まえていたことである。マルクーゼは、「先進工業諸国においては、社会主義への変革が行われるとしても、労働者階級が革命勢力となることは、いかなる意味でもありえない」ということを、きっぱりと述べた、マルクス派では恐らく最初の人だった。

 「生産性は、……精神や身体の『深層』を征服し、搾取する理性によって本能を飼いならすことをふくんでいる。能率と抑圧はひとつになる。生産性は労働の生産性を高めることは、資本家にとっても、スターリン主義のスタハノフ運動にとっても、神聖な理想である」

 「正統派」マルクス主義は、社会主義の概念を、生産力の発展や、労働の生産性の向上という枠内でしか理解してこなかった。しかし、先進工業諸国では、労働者たちは豊富な生活財や消費財に囲まれて、結構うまくやっているではないか? 資本制社会の「豊かな社会」は、いずれは「科学的社会主義」のめざした社会に、物質的には到達するにちがいない。社会主義が社会像や人間像を、経済的な範疇のなかにだけ封じ込めてしまう考え方を改めない限り、社会主義という思想・運動自体が無意味なものになるのではなかろうか? そこでマルクーゼが提唱したのが、人間と存在の「美的−エロス的次元」だった。

 初期マルクスに依拠したマルクーゼは、旧東ドイツの正統派マルクス主義からは「右翼社会民主主義者」と批判された。また、廣松渉やアルチュセールは、マルクーゼに代表される人間主義的マルクス主義の批判者として颯爽と登場して、哲学コンプレックスの若者たちのハートをつかんだ。今日では、マルクーゼを取り上げるのは、このBlogくらいかもしれない。

 しかし、マルクーゼは、決して古くなったわけでないだろう。その思想的な功績について、このBlogだけでも、いくつかあげてみよう。フロムに代表される新フロイト主義が、フロイトを「生物学主義」としたことを批判して、フロイトの文明論という振り出しに戻って、その社会批判的な側面を発展させようとしたことだ。これはボードリヤールの消費社会論などに引き継がれていくだろう。

 マルクーゼは、フロイトの源流にさかのぼって、エロスが解放されて、労働と遊戯の一致する理想社会を実現するための条件を探求した。特にマルクーゼにおけるフーリエやプルードンの復権は、特に重要である。

 今日は1905年、『中国の赤い星』のエドガー・スノーが生まれた日でもある。(1905年)備忘のため記しておきたい。