1945年7月17日、ポツダム会談始まる。

 スターリン、トルーマン、チャーチル、連合国の三巨頭がドイツのポツダムで戦後処理会談。8月2日までヨーロッパの戦後処理問題、対日方針などを討議する。

 会談は、当初、東欧でのソ連の勢力拡大を懸念するチャーチルの主導で進められたが、会談中の総選挙でチャーチルの保守党が労働党に大敗したため、労働党党首のアトリーに代わった。会談はポーランド・ドイツ間の国境画定をめぐって難航した。

 日本に無条件降伏を迫ったポツダム宣言は、この会談を踏まえ、アメリカ、イギリスに中国(蒋介石政権)を加えた3国が、7月26日に発表したものである。この宣言は、日本の戦後処理方針として、日本軍国主義の永久追放、軍隊の完全武装解除と兵士の復員、戦争犯罪人の処罰、言論・宗教・思想の自由と基本的の尊重などが盛り込まれたが、天皇の処遇には言及していない。「吾等の決意に支持せらるる吾等の軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避且完全なる壊滅を意味すべく、又同様必然的に日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。」というくだりは、原子力爆弾の使用をほのめかすものだった。

 日本政府は天皇制の存続問題が明確でないことを理由として、7月28日に「これを黙殺する」と発表する。

 このポツダム宣言は、今年60年の節目を迎える「戦後」の原点になるものだが、しかしほんとうならば、この世界のどこが「戦後」なのかといわなくてはならないだろう。日本が正式に降伏文書にサインした1945年9月2日以降、1945年内乱を含めて直接的戦闘行為を行わなかった国は、わずか10国にしかすぎない。アフリカには戦争をしなかった国は一つもない。南北アメリカでは、ジャマイカだけ。ヨーロッパでは、スイス、オーストリア、アイスランド、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランドの7国。アジアではブータンと日本の2国のみである。戦力や戦争を否定した日本は平和ボケといわれるが、事実は、20世紀の世界が、戦争ボケしてきたといわなければならない。

 「平和」と「民主主義」ほど、人によってしばしば全く違う意味で使われて、混乱を招いてきた言葉はない。しかし、この多様で、エネルギッシュで、矛盾と混乱のなかにこそ、「平和」も「民主主義」も成り立たせる基盤があるのだと信じたい。大切なことは、敗戦という自らの経験から、自分たちの手で何を作り上げてきたのかということであろう。