1925年、東京放送局(現在・NHK)がラジオ本放送を開始する。聴取者は5455所帯、受信料月1円だった。

 電話やラジオの発達には、小型で高性能で真空管が欠かせなかった。トランジスタやICの普及で消えかけたものの、「真空管アンプの音にはぬくもりがある」という熱心なマニアにより静かなブームだという。

 今日は、以前このBLOGでも何度か取りあげた木村哲人氏の著作をご紹介しておきたい。

 「真空管が消えたとき科学技術は妙な方向に曲がったのではないか。装置は半導体のブラックボックスになり、構造解説の参考書はなくなった。JIS規格はあってなきがごとく、製品の無法時代となってしまった。一年でキカイは旧式になり故障修理もままならない。電化製品は短時間に粗大ゴミと変わり環境を悪化させる」(木村哲人「真空管の伝説」)


真空管の伝説
 日本に無線マニアが誕生したのは、1916年頃のことだ。アメリカから輸入した部品で受信機を作る趣味が全国に広がった。政府は狼狽した。無線は公的機関と軍の通信用で、政府と軍が独占する方針だったからだ。だが無線マニアは都市部で確実に増え、政府も電波の独占は不可能になった。また、関東大震災で緊急の情報伝達の重要性も認識されるようになり、1923年12月に「放送用私設無線電話規則」を公布した。こうして東京、大阪、名古屋では放送局開設に向けて一斉に準備に入った。

 そして、1925年3月に東京放送局の仮放送が始まるのだが、逓信省の係官が放送局に常駐して即座に放送中止できるように、完全な監視体制においた。当時の番組予定表は次のようなものだった。

  九時二十分から海外商品市況
  九時三十分から株式市況
  十時三十分、株式市況
  十一時午前のニュス
  十一時四十五分株式市況、商品市況
  十二時、時報

 このように一日中株式と商品市況が続き、ニュースといっても新聞社が原稿を書いた簡単なものだった。

 「毎日、家族と放送を聞いているが、さっぱり面白くない。これではラジオ放送が普及しないから思い切って派手にやれ」

 という犬養毅逓信大臣(当時)の発言もあり、7月12日の本放送からは、政府方針の「教養の向上」を名目として、芸能を取り入れ、落語、浪曲、講談、邦楽、相撲や野球などの勝敗結果をアナウンスすることになる。最初の目玉は当時の新劇陣のスターを総動員したラジオドラマだった。

 ここで木村氏の著作に戻りたい。

 いくつも興味深いエピソードがある。日本本土空襲を察知する任務を与えられていたのが、田無の通信傍受班の話だったというのは、本書の収穫だった。当時のレーダの探知能力が最大で300キロ程度で、これでは敵が近づく30分前に空襲警報を出すのが限度である。迎撃戦闘機の準備や住民に警戒警報を出すには、少なくとも1時間前には探知する必要があった。当時の空襲警報は、敵機の交信の傍受と方向測定による情報だった。もちろん、傍受班にできたのは、警戒情報を発するところまでである。田無の陸軍特受班最大は、原爆機の飛行を探知したことが、原爆投下の悲劇を阻止することはできなかった。陸軍と海軍が別々に敵機を探知して、お互いに連絡もなかったことが起因していたのだろう。

 しかし、このBLOGで触れておくべきなのは、ゾルゲ事件だろうか。

  「おい、こりゃ三ペンじゃないの」
  と私の驚いた声がすっとんきょうに聞こえたらしく、A君は繭をしかめた。
  私たち二人は担当していたテレビ番組でスパイの歴史をやろうと資料を集めていたのである。
  「なんですか、サンペンって、そりゃゾルゲ諜報団の無線機を写した有名な写真です」
 「うそだろ、これはただのラジオだよ
 君は知るまいがね、昔の一番安い三球式ラジオなんだ。物資が不足したんで、高級品が禁止されて出来た代物さ」

 部品を極端に減らした資材統制下の三球ペントードは、普及型ラジオのなかでもっとも安く「20円ラジオ」と、軽蔑の響きをもって呼ばれていた。感度不足で評判も悪く、あまり売れなかったという。なぜゾルゲはそれを遠距離通信の受信機に改造したのか。予算不足のはずはなかった。ゾルゲの無線機と一緒に警視庁が発表した写真には、コンタックス、ライカなど当時の超高級カメラも数台写っていた。コンタックス一台でサンペンが40台は買うことができたのだ。

 ゾルゲ諜報団の技術者クラウゼンが市販の「サンペン・ラジオ」を選んだのは、改造が簡単だったからだ。ゾルゲ関係の本では、クラウゼンが毎日、東京の電気屋や金物屋を歩き回って、部品を買い集め、スーツケースに入れて持ち運びできる高性能の無線送信受信機を密かに作り上げたと書かれている。しかし木村氏は、「これは素人が想像で書いたフィクションである」と否定する。ラジオ街を歩いても送信機は作れない。ゾルゲ自身が、「日本では必要な部品が手に入らないので、クラウゼンは上海で買った」と手記に書いている。

 以前、今はなき三一書房から刊行されていた木村氏の『テロ爆弾の系譜』の筆者だが、これについては、さまざまな意見があることだろう。しかし、賢いテロリストは愚かな平和主義者より、ずっとはるかに賢い平和主義者に近い。爆弾を解除できるのは、爆弾の製造法を知っている人間だけだからだ。最後に次の文章を引用しておきたい。

 「真空管はいい、20年前に自作したタマ(真空管)のアンプが故障ひとつないと自慢しておく。半導体のアンプは5年もったら長寿のほうだ。いつ故障するかはらはらしながら使っている。これが飛行機やミサイルまでそうなのだからぞっとする。世界の破滅は半導体の故障から始まるに違いない」(『真空管の伝説』)