1950年7月8日、マッカーサーによる警察予備隊新設指令。
この日、マッカーサーは吉田首相に書簡を送り、国家警察予備隊の創設と海上保安庁の人員拡大を指示。朝鮮戦争勃発から約2週間後のことだった。

 この警察予備隊の創設は、在日米軍四個師団が朝鮮に出動したあとの空白を埋め、あわせて将来の日本軍の基礎をつくることが目的であった。マッカーサー指令が7月8日、警察予備隊令公布が8月10日、13日に隊員募集開始、23日に第一陣が入隊するというあわただしさであった。

 日本の警察制度は、すでに1948年3月施行の警察法により、自治体警察と国家地方警察に再編成されていた。これもマッカーサー司令にもとづくものである。この日のマッカーサー司令は、一般警察制度のほかに7万5000人の警察予備隊を指示するものだった。これは事実上、軍隊の再建だった。

 同じく1948年5月に運輸省の外局として発足した海上保安庁も、8000人増員される。勤務のそのほとんどが旧海軍出身者で構成されていた。

 警察予備隊の発足は、朝鮮戦争が直接のきっかけだが、ワシントンでは、これよりはるか以前に日本の再軍備化に向けての動きが台頭していた。太平洋戦争で日本軍との死闘を経験したために、占領初期に日本の非軍事化にもっとも熱心だったアメリカ軍部は、冷戦の表面化と同時に、対ソ対決のために一転して日本の再軍備に熱心な態度を示すようになっていたのだ。同じ頃、ドイツでもベルリン封鎖という非常事態のもとで、北大西洋条約機構(NATO)が設立され、西ドイツの再軍備化が進行していた。

 警察予備隊の創設から55年の歴史を振り返るとき、日本には戦争放棄をうたった憲法があるのだから、たとえ「自衛隊」という名の軍隊をもっていても、まさか戦争に巻き込まれるおそれはあるまい――そのような思い込みがなかっただろうか? そのことが、逆説的だが、「人道支援」の名のもとに自衛隊のイラク派兵を許してしまったという面がなかっただろうか?

 そして、この自衛隊の存在は、日本の民主主義を台無しにするものだった。憲法で戦力の放棄をうたいながら、現実に自衛隊という名の軍隊は増強の一途をたどる。理念と現実との著しい乖離を糊塗するために、その場しのぎのさまざまな嘘、詭弁、論理が政治の場で用いられてきた。「戦車」ではなく「特車」であるから憲法違反ではないといった答弁が、その類である。

 ひるがえってみれば、社会党・共産党も、既成事実を積み重ねていく政府・自民党に対して、ただ反対のポーズをとるだけで、戦争と平和の問題をたんなる政争の具にしてきただけだった。あなたがたは一体全体、平和憲法がなければ戦争に反対しないのだろうか? 

 誤解しないでいただきたいが、私は改憲にも自衛隊のイラク派兵にも反対だ。九条の会にも参加している。だからこそ、護憲派の危うさも指摘せざるをえない。護憲的な平和主義者の主張は、もはや何を言っても始まらない、いまさら自衛隊をなくせといってもなくせるものでもあるまいという無力感に人々を陥れる危険もはらんでいるからだ。

 リストラや増税の不安を抱えながら、日々のサバイバルを生き抜くことのほうが、大多数の一般大衆にとって、はるかに切実な課題だろう。たんなる大衆のエゴイズムのように映るかもしれない。しかし、大衆のエゴイズムのほうが、ノーベル賞作家をはじめとした、もはや死ぬこと以外何も残っていない九条の会の呼びかけ人たちより、ずっとはるかに本当の平和に近いのだ。

 海上保安庁の掃海隊は、1950年10月、GHQの司令で朝鮮半島沿岸掃海のため米海軍に従軍した。掃海船二隻が触雷で沈没、死傷者が出ている。当時日本が占領下にあったという条件は差し引かねばならないけれども、平和憲法があろうとなかろうと、日本は戦争に加担したし、死傷者も出している。この現実を認めるところからしか、地に足のついた戦争と平和の話も始まりはしない。

【参考文献】
『戦後史』 正村公宏(ちくま文庫)