1880年6月27日、ヘレン・ケラーがアラバマ州に生まれる。

 アメリカの社会福祉事業家。アメリカ南部のアラバマ州の裕福な家に生まれる。生後19か月で高熱のため、聴覚と視覚を失った。アニー・サリバン女史の教育を受ける。身体「障害」者の福祉事業に尽力、世界各地で講演した。日本にも3回訪れている。

 この日のために、子どもの『ちびまる子ちゃんのヘレン・ケラー』をのぞいてみた。マンガは読まないが、最近の児童書は実によく出来ていて、おもしろかった。ヘレン像の描き方が、私たちの時代とはかなり違うことも新鮮だった。井戸のポンプの水を受け止めて、「w-a-t-e-r」と叫ぶあの有名なシーンがなくなっているのだ。
 このシーンは、長い間ヘレン・ケラーの一般のイメージとして定着してきた。家の者によると、「奇跡の人」が劇中劇として登場する『ガラスの仮面』の影響が強いのではないかとのことだが、当てずっぽうなので根拠はない。1970年代に中高生だった世代にはそうなのかもしれない。

 しかし、ヘレンは実際には「w-a-t-e-r」とは叫んでいない。このシーンは、戯曲家ギブスンの創作であり、サリバンの手記では次のように描かれている。

 「井戸小屋に行って、私が水をくみ上げている間、ヘレンには水の出口の下にコップをもたせておきました。冷たい水がほとばしって、湯のみを満したとき、ヘレンの自由な方の手に<w-a-t-e-r>と綴りました。その単語が、たまたま彼女の手に勢いよくかかる冷たい水の感覚にとてもぴったりしたことが、彼女をびっくりさせたようでした。彼女はコップを落とし、くぎづけされた人のように立ちすくみました。
 ある新しい明るい表情が顔に浮かびました。彼女は何度も<water>と綴りました。それから、地面にしゃがみこみその名前をたずね、ポンプやぶどう棚を指さし、そして突然ふり返って私の名前をたずねたのです。私は<Teacher>と綴りました。……」(「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」」)

 ここにもあるように、ヘレンが発声したという記述は全くない。当時ヘレンは7歳、発音できるようになるのは、10歳、ボストンのホレスマン盲学校で発声法を学んでからである。

 「こうした映画やマンガに描かれたヘレン・ケラー神話は、彼女に対する正しい理解を生まないだけではない。一般の人の持つ障害者像をもゆがめてしまう」

 わかんうじが「マンガの中の聴覚障害者」(最後にリンク先URL紹介)のなかで、述べておられることである。2001年11月に、わかん氏によって、少女漫画に登場するヘレン・ケラー像の緻密な検証作業が行われて以降は、伝記マンガでも誤りが訂正され、今までの伝記では触れられなかった実像に迫る作品も生まれるようになった。特に、サリバンがヘレンを教育しただけではなく、終生の献身的なパートナーだったことは、忘れてはならないことだろう。

 さて、最近、ヘレン・ケラーの実像に迫る本として、『ヘレン・ケラーの急進的な生活―「奇跡の人」神話と社会主義運動』が出版された。ヘレン・ケラーが急進的な平和運動家であり、社会主義者であったことを、恥ずかしながら、私もこの本で初めて知った次第である。

 1914年に第一次世界大戦が勃発すると、ヘレンは合衆国の参戦に反対して、1915年のニューヨーク市でのスピーチで次のように述べている。

 「私は世界を私の祖国と考えます。だから戦争は何であれ、私にとっては、世界の構成員に不和をもたらす、まことに嫌悪すべきものなのです。真の愛国主義とは同胞愛であり、あらゆる人間相互間の奉仕である、と私は主張します」

 またヘレンは公然と婦人参政権を主張し、未成年労働や死刑制度に反対した。「社会の不平等と様々な不幸の根は貧困に他ならない」との信念から社会党に入党して、書斎には赤旗を掲げ、ストライキの断固たる支援者でもあった。1937年の来日の際は、日本の官憲は社会主義の宣伝や接触を警戒して、異常な警戒網を張ったと伝えられている。

 第一次世界大戦当時、戦争への反対を公言したアメリカ人は、けっしてヘレン一人ではなかった。しかしこの彼女の反戦の訴えは、合衆国が 1917年に参戦してからはとくに、当時の市民の不評と反発を招いた。この孤独な反戦のたたかいにあった1916年の秋、ケラーは彼女の生涯でもっとも痛ましい出来事を経験する。

 反戦を訴える講演には冷やかな反応しかなかった。さらにサリバンは結核をわずらい、数ヶ月の療養生活を過ごさなければならなかった。失意と孤独のうちにあった36歳のヘレンの前に現われたのが、臨事の秘書として採用された29歳の気鋭の社会主義者のジャーナリスト、ピーター・フェイガンだった。二人の間に恋がめばえる、……しかしこの二人の恋愛は、過保護な両親の干渉のために不幸な結末に終わる。

 1924年にAFB(アメリカ盲人協会)で活動を開始してからは、ヘレンは政治的な発言は控えるようになる。そして、その後の人生の大半を障害者の募金活動に捧げた。

  幸福の青い鳥 青い小鳥がとんできた
  遠い国からはるばると
  日本の空へこのまどへ 海をわたってとんできた
  ヘレン・ケラーのおばさまは いつも小鳥といっしょです
               (「ヘレン・ケラーの歌 幸福の青い鳥」)

 1948年、皇居の二重橋前広場で開かれた「ヘレン・ケラー女史歓迎国民大会」で歌われたの合唱歌である。しかし、「三重苦の聖女」「奇跡の人」といわれた「ヘレン・ケラーのおばさま」は、第2次世界大戦中に友人に当てた書簡で「慈善は社会悪に対する悲劇的免罪符にすぎない」と言い切る、本当にラジカルな人だったのだ。

 最後に、わかん氏の素晴らしいページとあわせて、視聴覚障害者の教育者・小原二三夫氏によるヘレン・ケラーの伝記もご参照いただけたら幸いである。

【参考文献】
『ちびまる子ちゃんのヘレン・ケラー』 さくらももこ+宮原かごめ/監修 関宏之(集英社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4083140224/250-9768387-2132226#product-details
『ヘレン・ケラーの急進的な生活―「奇跡の人」神話と社会主義運動』 キム・E.ニールセン/中野 善達訳(明石書店)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4750320382/250-9768387-2132226

【参考サイト】
小原二三夫氏の部屋(翻訳コーナ HELEN KELLER by Dennis Wepman)
http://www5c.biglobe.ne.jp/~obara/index.htm
マンガの中の聴覚障害者(わかん氏のページ) 
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wakan/