1950年6月26日、マッカーサーが日本共産党機関紙「アカハタ」の30日間発行停止を指令する。

 6月25日に朝鮮戦争が始まり、6月27日にはトルーマン大統領の命令によりアメリカ軍が南鮮の韓国軍を支援するという重大な情勢が生じた。アメリカ軍の後方支援基地である日本国内で、当時の最大最強の抵抗勢力は、もちろん日本共産党だった。
 はたして、6月26日、マツカーサーは日本共産党中央機関紙「アカハタ」に1ヶ月間の発行停止を指令した。この日までに戦後の「アカハタ」は1078号を数え、日刊三版制、日本におけるもっとも有力な政治新聞であった。

 法務府特別審査局は、「アカハタ」発行停止を実効化するために、同紙印刷所の株式会社アカツキ印刷所を封印して印刷機、活字等を差しおさえている。さらに共産党の下部機関紙(地方委員会・地区委員会)の発行停止処分をおこない、東京都だけでも23紙が発禁になった。

 日本共産党臨時中央指導部の6月27日付声明は、つぎのように訴えている。

 「日本共産党中央機関紙アカハタに加えられた今回の弾圧は、朝鮮解放戦の発展に対する恐怖と単独講和・軍事基地化を強行しようとするファシズムの弾圧にほかならない。この事をみても、いかに敵陣営が動揺し、自信を失い、眞実を恐怖し、いんぺいしているかを暴露している。しかもわれわれはますます確信と勇気をもって、この事態に処し、即刻、全国代表者会議において決定された一般報告を遂行することを誓うものである。

 一、全労働者階級は、この弾圧の真相を日常闘争と結合して大胆にうったえ、大衆闘争を展開しなければならぬ。

 二、すべての大衆団体、とくに労働組合はこのさい機関紙および宣伝機関を拡大強化し、言論、出版の自由を確保し、集会、デモの禁止に反対し、アカハタ弾圧の事態に処する緊急任務を大衆討議し、大衆抗議にたつべきである。

 三、共産党に加えられたこの弾圧は祖国の独立に対する弾圧であり、植民地化と軍事基地化への急激なる敵のあせりを示している。いまこそ、すベての愛国者は、民主民族戦線の拡大強化に参加し、独立自由平和の陣営を急速にかためねばならない。」

 また6月26日、共産党臨時中央指導部員・衆議院議員谷口善太郎は、新聞記者団に対し「アカハタの発行停止はポツダム宣言違反である」と発言した。この発言が、公職追放令に該当するものとして、谷口に対する追放指定が行われた。7月18日には、さらにマッカーサー指令により「アカハタ」は無期限発行停止処分となる。

 日本共産党の中央委員全員の公職追放指令と同様に、「アカハタ」の発禁指令も国際的に大きな反響をよんだ。国際ジャーナリスト連盟は「アカハタ」の発禁に抗議して、マッカーサーに7月6日打電している。

 この当時の背景を理解するためには、朝鮮戦争の情勢と同時に、1950年1月に発表された、コミンフォルムの日本共産党批判を知っておく必要があるだろう。この論文では野坂参三が名指しで批判された。野坂は連合軍は日本を非武装化すると同時に民主化するものと期待し、占領下にあっても平和的民主的方法で人民民主政権ができるなどと述べているのは、「ブルジョア的俗物的言辞」であり、「アメリカ帝国主義賞賛の理論」であり、「日本の人民大衆を欺瞞する、マルクス・レーニン主義と縁もゆかりもない理論である」と決めつけるものだった。

 スターリンを頂点としたソ連指導部は、マーシャルプランによる復興によって西ヨーロッパへの浸透の足がかりを失い、ベルリン封鎖という強行手段も西側の空輸作戦によって失敗して、西側の「対ソ封じ込め」をかえって強化させてしまった。各国の共産党に対する反米闘争強化の司令は、こうした状況のなかで生まれたものだった。

 このコミンフォルム批判は、占領軍の政策転換や産別会議の衰退と分解によって打撃を受けていた日本共産党に二重の意味で破壊的効果をもたらした。

 第一に、日本共産党のあいだでこのコミンフォルム批判の受容をめぐって、意見の対立が生じて、分裂状態に陥ったことである(所感派と国際派の分裂)。

 第二に、コミンフォルムや、その後に発表された中国共産党の『人民日報』の日本共産党批判は、議会制を利用した平和的手段による権力獲得の方針を非難し、「革命的闘争」の必要を強調するものだった。

 公職追放に続く「アカハタ」の発行停止に、日本共産党は幹部を地下に潜行させ、公然組織と非公然組織の二重体制でこの弾圧に対抗した。このことも、日本共産党を武装闘争路線への傾斜を加速する要因となっていく。

 自民党・公明党などが、武装闘争時代の日本共産党を反共攻撃の材料にすることがある。公正を期するために、2000年の不破委員長(当時)の講演録にリンクを貼っておきたい。しかし、この当時の武力闘争路線は「徳田・野坂分派の行動」だと切り捨てるのは、当時の武装闘争を支えた現場の活動家、とりわけ朝鮮人共産主義者たちに、あまりに不誠実なものではないだろうか? 

 これについては、先日触れた吹田事件の項で若干の加筆を行いたい。

【参考サイト】
日本労働年鑑 第24集 1952年版(大原社研)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/24/index.html
【暦】6月6日 レッドパージの時代(当ブログ)
http://blog.livedoor.jp/busayo_dic/tb.cgi/24398522
「日本共産党創立78周年記念講演会 日本共産党の歴史と綱領を語る」不破哲三
http://www.jcp.or.jp/jcp/78th_koen/fuwa_78th_honbun.html