戦前の日本では共産主義思想を持つ者にたいして「村八分」が行なわれた。それは共産主義思想を持つことさえも犯罪とされ、逮捕、拷問が平然と行なわれた野蛮な国家に生きる日本人が何の疑いもなく黙認し、あるいは普通にとった行動だった。

先日、有田芳生さんのサイトを見ていると、こんな記述に出くわしました。有田さんは上田耕一郎さんと小田実さんの対談記事を作ったことを共産党から咎められ、自己批判をするよう言われたそうですが、有田さんはする必要の無い自己批判を拒否し、そのために除籍処分となったそうです。
戦前の日本は一つの価値観を持つことが美徳とされ、多様性を認めなかったわけで、そこから外れた者には非人間的な弾圧が加えられ、正当化されてきました。一方、共産党の場合、有田さんによれば「存在すら認めない」そうです。もちろん共産党を批判するような記事を書けば「転落者」「反共主義者」と罵倒されますが、有田さんはご自身の体験を通して「日本共産党の対応は、かつて自分たちが経験したことと同質の行動を批判者にたいして繰り返しているのではないか。」と分析されております。

しかし、村八分というのは、葬式と火事は手伝ってくれます。ようするに二分だけは人間的な関係を保った状態のことを村八分というのであって、共産党のように「存在を認めない」というのは、人間的な関係を全て絶った状態のことです。
これは村八分より酷いのではないかと思いますが、除名者・除籍者の皆さんはどうお考えでしょうか。

罵詈争論でした。