栄枯盛衰という言葉があります。盛んだったことが衰退に向かうことを言うのですが、戦後華やかだった左翼運動も、70年代から80年代を境に、衰退の一途をたどってまいりました。今はもはや左翼という言葉にはレトロな雰囲気さえ漂っており、時おり見かける左翼のデモなどは「無形文化財に指定すべきだ」などと茶化す悪友もおります。

左翼の中でも、たとえば日本共産党の運動の中身を見ると、旧式のものが目につくのも事実です。また運動を支えるために、幹部がよく口にするのが歴史の必然性というものです。
今、振り返ってみますと、左翼が元気だった頃の時代背景には、それなりの理由があったと思います。しかしそれは必然性と呼べるものではなく、偶然の一致にしかすぎません。なぜならば、そもそも歴史というものが、予測不能な偶然の積み重ねで成り立っているからでありまして、そこに必然性を求めるのは自由ですが、それは全て後付けの理由でしかないからです。

「ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という」
これはアインシュタインが言った言葉ですが、結婚が不幸かどうかは別にして「ただの偶然でうまく行ったことを懐かしんで、同じことを繰り返しても良い結果は得られない」ということを言ったものです。共産党の方針などを読んだり、活動を見てみますと、偶然の一致を維持することに汲々としているように思えてなりません。
やはり革新は革新的であるべきではないでしょうか。

罵詈争論でした。