母は、1950年に、家出同然に田舎から大都会に出てきました。そしてある工場に就職しました。当時は日産や尼鋼や近江絹糸などで争議があって、世の中が左傾していました。

当時の雰囲気は、20年ほど前に上場企業社長であったA氏のことばを借りると「いつ、日本革命が起きるか、わくわくしながら生きていた」時代です。1950年当時、革命はリアルさをもって大衆に認識されていたのです。
母の務めていた工場の労組は、後に民社党となる社会党右派でしたが、上記のような時代でしたから共産党員もいたそうです。共産党員は、現在よく見られるような、職場で浮いているようなことはありませんでした。むしろ信頼され尊敬されていたそうです。なぜならば彼らは職場・地域の問題について、あれこれ言わずに率先して献身的に取り組んでいたからです。
共産党員は、イデオロギーによらず人民の海にいたのです。

だから、昨日の革命記念日の話にある、共産党非合法化の時代に、母は共産党員をかくまったりしていたそうです。その後、党内対立が激しくなるにつれて、イデオロギーでもって周囲の善意の人を傷つけるようなことがあったりして、共産党は人民大衆から遊離していきました。
この頃のことは、母は思い出したくもないのか、話してくれません。

それでも、部分的にとは言え、昔の共産党のことを話してくれたのは、僕が共産党員とケンカをしていると言った時でした。母はものすごい剣幕で「共産党の怖さをお前は知らないんだ、人間を人間とも思わない連中には譬え敵としてもかかわるな!」と言われました。

20年も前の話ですが、昨日の革命記念日の記事を読んで、思い出したので投稿しました。

管理人コメント
この投稿は、投稿者の了解のもと、文意を損なわない程度に書き換えさせていただきました。原文のままだと、人物、会社名などが多数書かれており、調べる気になれば投稿者が誰か追及が可能だと判断したためです。