同じ誤りを犯しても、その後の対処によって、周りの評価というものは違ってきます。JR西日本の事後処理は後手に回ってしまい、遺族や被害者、それに地域の住民の反感をかいました。
国際関係に目を向けましても、日本は先の戦争でアジアの国々を侵略したのですが、その事に無反省ではないかと受けとられかねない言動が続き、被害を受けた国から批判が続出しております。

そしてこのサイトも批判を繰り返しております。ご存知だとは思いますが、日本共産党をはじめとする左翼全般に対してであります。しかし日本共産党の過去の過ちに対しての批判なら理解できるが、他国の社会主義・共産主義政党が行ったことなのに、なぜ日本共産党が批判されるのか、腑に落ちない党員や支持者の方も多いと思います。
一昨日になりますが、6月5日の罵詈争論でも触れましたが、その中で他国の社会・共産主義政党と日本共産党の体質は同じだと指摘しました。そしてその体質こそが、あのような悲劇を生んだ原因ではないか、という指摘は数多くあります。しかし当の共産党の分析はそこまで進んでいないようで、表面的なことだけを取り上げ、人間抑圧の社会だったとしているだけで、なぜそれが可能になったのか、なぜ止めることができなかったのか、というところまで掘り下げた議論はあ
りません。

そのことを指摘してくれる意見は多くありますし、そういう意見があることは党幹部をはじめ、多くの党員が知っていることであります。しかし内部の議論は一向に前に進んでおりません。また、これも6月5日に書いたことですが、直視しようとしない動きもあります。こういった事を見ますと、共産党は過去の問題や自党の体質について「議論できない」のではなく「議論しようとしない」のではないかと思われるのであります。

”できない”というのは許される。だが、”しようとしない”のは断じて許されぬ。これはイプセンの
書いた言葉ですが、評価の境界線はここにあるのではないでしょうか。
「体質は組織内の問題だ。自由と民主主義の中で触れている」と言っても”しようとしない”組織の言うことを信じてくれる人は、そう多くはありませんし、幹部に限らず”しようとしない”党員は断じて許されることはありません。

罵詈争論でした。