1797年5月27日、フランソワ=ノエル・バブーフ、獄中で自殺を試みる。

 「革命はまだ完結していない。すべての財産は独裁者として支配している金持ちが所有して、貧民は困窮の状態で奴隷のように働き、それでも国からは軽視されているからだ」(バブーフ)
 バブーフは早すぎたマルクスであり、遅すぎたルソーだった。「自由、平等、博愛」をかかげたフランス大革命は、共和制をうち立て、啓蒙思想家たちが唱えていた「理性の王国」を実現したかに見えた。しかしこの「理性の王国」とは「理想化されたブルジョアジーの王国」にすぎなかったのである。

 バブーフは、1789年の人権宣言が財産によって政治参加を制限している点を鋭く批判した。また、1793年のいわゆる「ジャコバン憲法」に対しても、それが所有権を絶対視していると批判した。

 「人間のでなく、相場師、高利貸し、買い占め人、貪婪な殺人的吸血鬼、あらゆる種類の強欲な投機屋の、この裏切り的な権利宣言に、国民拒否権を行使せよ」(バブーフ)

 ジャコバン憲法第一条「社会の目的が共同の幸福」となるためには、「この革命を、それが人民の革命となるまで、継続しなければならない」(バブーフ)

 バブーフは、ルソーから深い影響を受けている。自分の息子にも「エミール」と名づけたほどだ。

 ルソーが説くように、「自然状態」においては人間は本来平等であった。しかし土地所有の発生と長子相続制によって、貴族が発生し、階級分化が進行して、不平等が拡大した。しかし、土地もまた、すべての市民は生まれると同時に、空気や水と同様に与えられた自然権のはずだ。空気や水と同じように、土地にも売買、譲渡、相続を認めてはならない。フランス大革命が理想とした「自由・平等・博愛」に基づく人民の共同の幸福を実現するためには、私有財産制の廃棄こそが必要なのだ。

 バブーフは、 秘密結社<パンテオン・クラブ>(平等党)を核としてインフレと食糧難に悩むパリ民衆の蜂起により、総裁政府転覆を計画した。

 しかし、軍隊工作に失敗。幹部の間でもジャコバン派の参加をめぐって対立が生じた。内通者によって幹部全員が逮捕される。そして、1797年のこの日、バブーフはもう一人の幹部、ダルテとともに短剣で自殺を試みるが失敗。翌日、ギロチンの露と消えた。

 「バブーフの陰謀」は潰え去ったが、その早すぎた共産主義は、マルクス主義に受け継がれていくことになるだろう。「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」といういわゆる共産主義社会の公理も、バブーフによってはじめて提唱されたものである。バブーフは、共産社会では、「各人は能力に応じて生産し、生産物は共同の倉庫に集められて、平等に分配される」と説いた。

 「それでは、よく働く者は損をし、怠惰が広がるのではないか?」という共産主義批判に対して、まず模範解答を示したのもバブーフである。怠惰こそ共産社会が絶滅しようとするものなのだ。生産物の平等な分配は、労働をする義務を負うことを前提としている。この義務を放棄する者は法律によって死刑に処せられることになるだろう。

 ここには、ソ連や中国が実現した悪しき共産主義社会の原点がある。マルクスにあっては、利潤とは廃棄されるものであって、「富」を得るシステムの揚棄をめざすために、『資本論』のあの難解な価値形態論が要請されたのだった。しかし、ひるがえってみれば、マルクスも生産力史観=労働イデオロギーから自由ではなかった。「労働すれば自由になる」というアウシュヴィッツ収容所に掲げられたスローガンは、前世紀の二つの全体主義、スターリニズムとナチズムに共通したイデオロギーだったことを忘れてはならない。

 資本主義も共産主義も、フランス大革命の時代に生まれた双子の兄弟だという視点が必要だ。資本主義が資本主義である限り、バブーフ的なるものは何度でも復讐に甦ってくるだろう。

 5月27日の忘れてはならないもうひとつの墓碑銘。

 1871年5月27日、パリ・コミューンの戦士や多数の市民が、ペール・ラシューズ墓地の「連盟兵の壁」で銃殺される。


【参考文献】
『フランス革命』 ロバート・モウルダー/田中茂彦訳(現代書館)

【参考サイト】
▽フランス革命人物録
http://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/profiles/Revolution/Pro-Revolut.html
▽社会主義観の変遷(海つばめ 第787号〜第835号)
http://homepage3.nifty.com/mcg/mcgtext/shakai/shakai.htm